スパーズ 対 ウィザーズ。 ウィザーズ八村が初ダンク スパーズ戦/NBA詳細

八村塁、ポンプフェイクにかかる

スパーズ 対 ウィザーズ

スパーズのデマー・デローザンが26得点、9リバウンド、8アシストと活躍した。 ラマーカス・オルドリッジが23得点、13リバウンドで貢献した。 0 : 0• narrow-browser-and-phone• medium-browser-and-portrait-tablet• landscape-tablet• medium-wide-browser• wide-browser-and-larger• medium-browser-and-landscape-tablet• medium-wide-browser-and-larger• above-phone• portrait-tablet-and-above• above-portrait-tablet• landscape-tablet-and-above• landscape-tablet-and-medium-wide-browser• portrait-tablet-and-below• landscape-tablet-and-below.

次の

八村塁が15得点、ブラッドリー・ビールが33得点と活躍したウィザーズがスパーズに勝利

スパーズ 対 ウィザーズ

NBAウィザーズのドラフト1巡目ルーキー八村塁(21)が、26日(日本時間27日)のスパーズ戦に先発出場した。 NBA初のダンクシュートを決めるなど16得点、8リバウンド、3アシスト。 試合は122-124と2点差でスパーズに敗れた。 photo• スポーツ 盛岡農の自転車競技部「楽しく」代替大会ラストラン []• 自転車 [6月25日 7:00]• 卓球 [6月25日 0:16]• スポーツ [6月25日 0:16]• スポーツ [6月24日 19:58]• スポーツ [6月24日 19:41]• テニス [6月24日 19:35]• バスケットボール [6月24日 19:29]• スポーツ [6月24日 19:05]• スポーツ [6月24日 19:02]• フィギュア [6月24日 18:09]• テニス ジョコビッチに選手ら批判の声「大きな子供のよう」 []• テニス [6月24日 19:35]• テニス [6月24日 13:49]• テニス [6月24日 10:15]• テニス [6月24日 8:35]• テニス [6月24日 8:20]• テニス [6月24日 0:46]• テニス [6月22日 8:59]• テニス [6月20日 21:02]• テニス [6月20日 9:15]• テニス [6月19日 18:34]• 陸上 五輪マラソン代表服部、網走大会1万mにエントリー []• 陸上 [6月24日 10:00]• 東京オリンピック2020 [6月23日 18:21]• 陸上 [6月23日 16:44]• 陸上 [6月23日 8:44]• 陸上 [6月22日 19:29]• 陸上 [6月22日 15:52]• 陸上 [6月22日 14:52]• 陸上 [6月22日 14:04]• 陸上 [6月20日 6:00]• 陸上 [6月19日 16:12]• フィギュア フィギュア竹内洋輔強化部長を承認 副部長から昇格 []• フィギュア [6月24日 18:09]• フィギュア [6月24日 16:02]• フィギュア [6月24日 10:46]• フィギュア [6月23日 10:22]• フィギュア [6月20日 10:03]• フィギュア [6月20日 1:28]• フィギュア [6月19日 17:16]• フィギュア [6月19日 14:37]• フィギュア [6月19日 10:21]• フィギュア [6月18日 14:19]• バレー ロンドン五輪銅メンバー、久光製薬の新鍋理沙が引退 []• バレーボール [6月21日 8:17]• バレーボール [6月20日 19:12]• バレーボール [6月20日 17:32]• バレーボール [6月14日 9:09]• バレーボール [6月13日 20:09]• バレーボール [6月13日 19:16]• バレーボール [6月11日 19:45]• バレーボール [6月11日 13:45]• バレーボール [6月10日 18:12]• バレーボール [6月2日 19:29]• バスケ 40歳迎える田臥勇太、ヨガに納豆 体のケア入念に []• バスケットボール [6月24日 19:29]• バスケットボール [6月24日 16:03]• バスケットボール [6月24日 13:11]• バスケットボール [6月24日 11:20]• バスケットボール [6月23日 19:44]• バスケットボール [6月23日 19:39]• バスケットボール [6月23日 17:22]• バスケットボール [6月23日 16:14]• バスケットボール [6月23日 9:31]• バスケットボール [6月22日 17:42]•

次の

ティム・ダンカン

スパーズ 対 ウィザーズ

2000• 1997• 1997• 優勝 2008• 男子年間最優秀選手 2003• スポーツマン賞 2003• 2015• 最優秀カレッジ選手賞 1997• 21 永久欠番• 21 永久欠番 キャリアスタッツ NBA 得点 26,496 19. 0 ppg リバウンド 15,091 10. 8 rpg アシスト 4,225 3. 0 apg ブロック 3,020 2. 2 bpg Basketball-Reference NBA. com NBA. jp 代表歴 キャップ 1995-2004 ティモシー・セオドア・ダンカン( Timothy Theodore Duncan、 - )はクリスチャンステッド出身の元選手。 身長211cm、体重114kg。 ポジションは。 の一筋19年にわたり活躍し、スパーズに5度のをもたらした。 からのアシスタントコーチを務めている。 時代にカレッジバスケの個人賞を総舐めにした後、にてサンアントニオ・スパーズから全体1位指名を受けてNBA入り。 以後スパーズの黄金期を築き上げ、を5回制覇。 個人としても、受賞2回、受賞3回、デビューしてから2010年まで13シーズン連続で、、、(ロックアウトの影響で開催されなかったを除く)に選ばれ続けた。 プレイに華やかさはないため「地味」というイメージが付き纏うが、その圧倒的な実績から史上最高のパワーフォワードとの呼び声も高い。 どんな試合状況であっても常に冷静な判断を失わず 、基本に忠実なプレースタイルから The Big Fundamentalの愛称で知られる。 生い立ち [ ] ティモシー・セオドア・ダンカンはとの境に浮かぶ(の保護領)ので、石工職人の父ウィリアムと助産婦の母イオンの間で生まれた。 姉が2人おり(シェリルとトリシア)、姉の影響でダンカンは幼なじみのらと共にを始め、トリシアのようなオリンピックレベルの選手になることを夢見た。 家族の支えもあってダンカンの水泳の腕は上達し、自由形50m、100m、400mのアメリカ代表入りを目指し、ヴァージン諸島代表としてジュニアオリンピックにも出場している。 しかし1989年に巨大ハリケーン(ヒューゴ)が島を襲い、島で唯一国際大会レベルの競泳が可能なプールが使用不能になってしまったことでダンカンは水泳への情熱を失ってしまった。 不幸は続き、彼が14歳の時に母をで失い、大きな精神的痛手を受けた。 バスケットボールを始めたのは中学3年生の時、義理の兄弟の影響を受けてからで、後にバスケット界の頂点を極める選手としては遅いキャリアのスタートであり、始めたての頃はバスケットへの順応に苦労したようである。 セント・クロイ・カントリー学校の体育教師は当時のダンカンを「ティムはとても大きかった。 大きくて高くて、でもその頃の彼はとても不器用だった」と回想している。 ダンカンはこの欠点をエスプコパル高校で克服。 4年生の頃には平均25得点をあげる有望な選手となっており、いくつかの大学の関心を引いた。 16歳の時にはNBAスターのとの5対5のピックアップゲームに参加する機会を恵まれており、この試合を見ていたバスケットボール部コーチのデイブ・オドムがダンカンに大きな興味を持った。 当時彼はインサイドでフィジカルにプレイできるビッグマンを探しており、ダンカンはその要求に十分応えられる逸材だった。 ダンカンのもとには、、からの勧誘もあったが、ダンカンはウェイク・フォレスト大学デーモン・デーコンズに加わることを決めた。 ウェイク・フォレスト大学 [ ] ウェイク・フォレスト大はダンカンが入部する前にチームのエースだったがでNBA入りしてしまったため、彼にかわるチームの柱を求めていた。 8得点9. 6リバウンドの成績に終わるが、シーズンが進むごとに徐々に存在感を増していき、ウェイク・フォレスト大は20勝11敗の成績を残した。 ダンカンのプレースタイルは単純だったがとても効果的であり、豊富な引き出しを持つポストプレー、ミドルレンジからのバンクショット、厳しいディフェンスは強力な武器となり、1994年のではアメリカ代表に選ばれた。 当時からダンカンはストイックで無駄を一切排したプレースタイルだったため、カレッジバスケファンは、彼のそんな「地味」なスタイルをなじる意味で"Mr. Spock"(感情を表に出さないの登場人物)というニックネームをつけた。 バスケットボールに精を出す一方、学生の本分である学業にも熱心に取り組み、心理学の学位取得を目指し、また人類学や中国語のクラスも取った。 大学心理学主任教授デボラ・ベストは「彼は私の特別優秀な学生たちの一人だった。 彼らとダンカンを見分けられるのは身長だけだ」と語っている。 の、はダンカンににアーリーエントリーするよう勧めた。 NBAは1996年に制度に新たにルーキーの契約に制限を設けるルーキーサラリーキャップ制度を導入する予定であり、その前にNBA入りすればダンカンのもとにはより多くの契約金が入ってくるはずだったが、ダンカンはお金よりも大学生活をとった。 14歳の時に亡くなった母が常々大学だけは卒業するよう言っていたため、その遺志に従ったのである。 ダンカンはこのシーズン、ウェイク・フォレスト大をトーナメント決勝に導き、この場でラシード・ウォーレス擁すると対戦。 試合はチームメートのが残り4秒で劇的な決勝点を決めてウェイク・フォレスト大が勝利したが、ダンカンはNBA入り後もライバルの一人となるウォーレスを封じ込め、チームの勝利に貢献した。 ウェイク・フォレスト大はのSweet16まで進出し、との試合でダンカンは12得点22リバウンド8ブロックの活躍を見せたが、チームは敗退した。 ダンカンはこのシーズン、前年を大きく上回る平均16. 8得点12. 5リバウンドをあげ、3. 98ブロックは史上3位となる好記録となり、年間最優秀守備選手賞とオールACC1stチームに選ばれた。 1995-96シーズンに入る前、チームの中心選手だったランドルフ・チルドレスが大学を去り、NBA入りしたため、ダンカンのチーム内での重要性は益々高まった。 ダンカンはこの機会にリーダーとして大きく成長し、見事な統率力でチームを率い、シーズン中は僅か4敗しかしなかった。 しかしNCAAトーナメント中にダンカンは風邪を患ってしまい、チームは再びSweet16で敗退している。 ダンカンのこのシーズンの成績は平均19. 1得点12. 3リバウンドでACCの得点王、リバウンド王、ブロックショット王、フィールドゴール成功率1位に輝き、この4部門でカンファレンス1位となったACC史上初の選手となった。 2年連続の最優秀守備選手賞とACC年間最優秀選手、オールアメリカ1stチームに選ばれた。 シーズン終了後にはダンカンがにアーリーエントリーするのではないかという噂が立ったが、結局ダンカンは大学に残った。 ダンカンの成績は最終年にしてついに大台の平均20得点10リバウンドを突破する20. 8得点14. 7リバウンド3. 2アシスト、フィールドゴール成功率60. さらに2年連続となるオールアメリカ1stチームとACC年間最優秀選手賞、全米バスケットボール記者協会選出の年間最優秀選手、、とカレッジバスケ界の主要個人賞を総なめにした。 ダンカンの大学4年間の成績は平均16. 5得点12. 3リバウンドとなり、ウェイク・フォレスト大は彼の在学中97勝31敗の成績をあげた。 通算481ブロックはNCAA史上2位となり、またNCAA史上10人しかいない通算2,000得点1,500リバウンド以上達成者の一人となり、史上初となる通算1,500得点1,000リバウンド400ブロック200アシスト以上達成者にもなった。 ダンカンはウェイク・フォレスト大学での4年間を全うし、満を持して、にエントリー。 でが高校卒業後すぐにエントリーしたことが象徴するように、ドラフト候補生は年々低年齢化していくなかで、ダンカンのように大学で丸々4年間プレイすることは珍しい例となる。 NBA・サンアントニオ・スパーズ [ ] ツインタワー [ ] NBAにとっては待たされたダンカンのNBAドラフトエントリーだったが、彼を指名できる幸運を得られたのがだった。 リーグ屈指の強豪チームであるはずのスパーズがドラフト全体1位指名権を獲得できたのは、前年に大黒柱のがシーズンをほぼ全休してしまい、その影響で20勝62敗、リーグワースト3位の成績となったからである。 ドラフト抽選で見事に1位指名権を射止めたスパーズのヘッドコーチは、迷わずその1位指名権をダンカンに行使。 ダンカンはスパーズに入団することになった。 当時スパーズは1位指名権を得るために故意に多く負けたと巷で囁かれたことは、ダンカンに対する期待の高さの表れでもあった。 ダンカンのスパーズ入団は強力なビッグマンデュオ、すなわち ツインタワーの形成を意味した。 216cmのロビンソンはリーグのベストの一人であり、その傍らにカレッジバスケの個人賞を総なめにした身長211cmのダンカンが居座る(NBA入り当初は公称213cmだった)ということは、対戦するチームにとっては悪夢でしかなかった。 なお、大学時代はセンターを務めていたダンカンだが、スパーズではロビンソンがいるため、にコンバートされている。 ツインタワーはダンカン、ロビンソン双方にとって大きくプラスに働いた。 人格的にも優れたロビンソンからダンカンはNBAで活躍するための多くのノウハウを学び、またその実力は誰もが認めながらもリーダーシップに欠けると度々指摘を受けてきたロビンソンは、ダンカンの入団でその負担が大きく軽減された。 ダンカンはNBA入りした時点ですでに超一流の選手だった。 公式戦デビュー戦で15得点10リバウンド2ブロックを記録したダンカンは、3戦目のとの試合では当時リーグ屈指のローポストディフェンダーだったとマッチアップし、19得点22リバウンドをあげた。 毎晩のようにを重ね、全ての月間新人賞を独占。 にもコーチ推薦ではあるが出場。 平均21. 1得点11. 9リバウンド2. 7アシスト2. 5ブロックの成績を残し、当然のようにを受賞すると共に、新人としては異例となるオールNBA1stチームとオールディフェンシブ2ndチームにも名を連ねた。 新人ながらオールNBA1stチームに選出されるのは以来であり、ダンカンはNBA入り1年目にして早くもリーグ最高の選手の一人に数えられるまでになった。 決して派手さは無いものの、フレッシュマンながらすでにベテランの雰囲気を漂わせるダンカンの抜群の安定感に、百戦錬磨のベテランスター選手たちも賞賛を惜しまなかった。 同じポジションのスター選手、は来る21世紀に掛けて「俺は未来と会ってきた。 そしてそいつはNo. 21(ダンカンの背番号)を着ていた」と、相棒ロビンソンは「彼は本物だ。 私は彼の態度と努力を誇りに思う。 彼はすべての事に必要以上の努力と労力を払い、よりよい選手になろうとしている」とコメントしている。 驚異の新人ダンカンに"提督"ロビンソンのツインタワーに率いられたスパーズは前年の不振が嘘のように快進撃を続け、前年から36勝を上積みする56勝26敗の成績を残した。 プレーオフでは擁すると対戦。 第1戦でダンカンの32得点10リバウンドの活躍により波に乗ったスパーズは3勝1敗でサンズを降し、カンファレンス準決勝に進出。 とのシリーズでは当時史上最高のパワーフォワードと謳われていたとのマッチアップが実現した。 第1戦ではダンカンの33得点に対しマローンは25得点、第2戦ではダンカンの26得点に対しマローンは22得点と、ダンカンはマローン相手にも譲らなかったが、シリーズが進むにつれて徐々に経験豊富なマローンに主導権を握られ、チームは1勝4敗で敗退した。 1999年の優勝 [ ] ダンカンにとってNBA2年目のは発生により開幕が2月にまでずれ込み、レギュラーシーズンが通常の82試合から50試合に短縮されるという異例の事態から始まった。 スパーズは開幕から6勝8敗と成績が伸び悩み、ポポヴィッチHCは非難の矢面に立たされたが、彼らのヘッドコーチをツインタワーが救い、以降の試合を31勝5敗、勝率. 861という驚異的な成績で切り抜け、最終的には37勝13敗とした。 この頃にはほぼ対等だったツインタワーの力関係に変化が見られ、33歳となっていたロビンソンはチームの主役を彼より一回りも若いダンカンに譲り、自らは積極的にダンカンのサポート役に回った。 ダンカンは平均得点・リバウンド・ブロックでチーム1位となる21. 7得点11. 4リバウンド2. 4アシスト2. 5ブロックの成績を残し、オールNBA1stチームとオールディフェンシブ1stチームに選出される。 プレーオフ1回戦ではダンカンと同い年ながらNBAでは2年先輩のが率いると対戦し、3勝1敗で降すと、カンファレンス準決勝では、擁するを4戦全勝で一蹴。 カンファレンス決勝でも大学時代からのライバルであるが所属するをやはり4戦全勝で降し、ついにチーム史上初の進出を果たす。 2003年優勝後、ホワイトハウスに招かれたサンアントニオ・スパーズのメンバー(中央がティム・ダンカン) ファイナルでは第8シードから奇跡的なファイナル進出を果たしたと対決。 ニックスの顔はデビッド・ロビンソンと共にリーグトップセンターの一角を成しただったが、ユーイングは故障でファイナルを全休。 戦前から大黒柱不在のニックスに対し、ツインタワー擁するスパーズが有利であろうと予想され、現実もその通りとなった。 初のファイナルという大舞台に第1戦前半のダンカンは僅か4得点2リバウンドに終わったが、後半に入ると復調し、終わってみれば33得点16リバウンドでチームを勝利に導いていた。 ニックスにもベテランのや将来有望な、らが居たが、ツインタワー相手には力不足で、インサイドの主導権は完全にスパーズが握り、第2戦も勝利して2連勝を飾った。 このシリーズにはヴァージン諸島からも大応援団が駆けつけており、スパーズのホーム・アリーナ、の客席は満杯となり、第2戦で記録された観客動員数39,554人はNBA新記録となった。 第3戦ではニックスのガード陣、やの活躍でスパーズは不覚を取ってしまうものの、第4戦ではツインタワーがニックスを圧倒。 ダンカンとロビンソンの2人だけでニックスの総リバウンド数を上回る35リバウンドをあげ、優勝に王手を掛けた。 第5戦ではダンカンとニックスのスプリーウェルのとなり、試合の行方は最後までもつれた。 ダンカンはすぐにチームメートのにパスを送り、そしてエリオットはコーナーサイドでフリーで待つにパス。 ジョンソンのジャンプシュートが決まり、スパーズに劇的な逆転勝利をもたらした。 シリーズ4勝目をあげたスパーズがチーム史上初の、そしてロビンソンにとってもNBA10年目の節目の年に初めての優勝を果たし、そしてダンカンはNBA入り2年目にして最初のチャンピオンリングを手に入れると共に、シリーズ平均27. 4得点14. 0リバウンドの成績でチームを優勝に導いたとして、 ファイナルMVPの称号も手に入れた。 2年目でのファイナルMVP受賞はと並ぶ歴代2番目の速さである(はルーキーイヤーに受賞)。 レイカーズの壁 [ ] 早くもNBAにおける最大の成功を手にしてしまったダンカンだったが、チャンピオンチームとして臨んだも慢心することなく、平均23. 2得点12. 4リバウンドを記録してもはや常連となったオールNBA1stチーム、ディフェンシブ1stチームに選ばれると共に、24得点14リバウンド4アシストをあげたオールスターゲームではシャキール・オニールと共にオールスターMVPを共同受賞した。 しかしスパーズ自体はチームの高齢化に悩む時期に入っており、デビッド・ロビンソンやエイブリー・ジョンソン、ショーン・エリオット、ら主力選手は皆30代半ばに入っており、チーム全体に疲弊が見られ、このシーズンは53勝29敗とチャンピオンチームとしてはやや物足りない成績に終わった。 また前年ついに優勝を果たしたスパーズだったが、通常の82試合を戦い抜いた上での優勝ではないため「本物の優勝ではない」という声が周囲からあがっており、正当な評価を受けるためにもスパーズとダンカンには連覇の期待が掛かったが、ダンカンは肝心のプレーオフでチームの力になれなかった。 ダンカンはレギュラーシーズン終盤で負った怪我が回復せず、プレーオフ全休を強いられ、チームのエースを失ったスパーズは1回戦でサンズの前に敗退してしまった。 このオフにとなったダンカンはからオファーを受け、一時は移籍寸前までいったが、バカンス中だったロビンソンが慌ててダンカンのもとを訪れ、スパーズに残留するよう説得。 結局ダンカンはマジックのオファーを断って、スパーズと再契約を結んだ。 翌に怪我から回復したダンカンは平均22. 2得点12. 4リバウンド、オールNBA、ディフェンシブ両チームで1stチーム入りするという例年通りの成績を残し、スパーズも、といった若い血をチームに注ぎ、前年を上回る58勝24敗を記録。 プレーオフでは1回戦でティンバーウルブズを3勝1敗で、カンファレンス準決勝では後にダンカンとスパーズの強力なライバルとなる擁するとの初対決を4勝1敗で制し、ここまで順調に勝ち上がったが、カンファレンス決勝で前年チャンピオンのロサンゼルス・レイカーズが立ちはだかる。 シャキール・オニールにコービー・ブライアントという強力なデュオに率いられ、当時黄金期を迎えていたレイカーズにスパーズは全く歯が立たず、屈辱の4戦全敗を喫した。 ダンカンはシリーズ第2戦で40得点をあげるなど奮戦したが、第3戦では9得点、第4戦では15得点に終わるなど不甲斐ない場面も見られた。 誌はこのシリーズのスパーズを哀れみをもって「無慈悲で不公平な組み合わせ」と評し、またダンカンを「スパーズが最も必要とする時に消えてしまう」と酷評した。 2季連続で期待外れの結果に終わったスパーズとダンカンだったが、のダンカンは個人としては絶頂期を迎えた。 ダンカンはキャリアで初めてとなる平均40分以上の出場を果たし、キャリアハイとなる平均25. 5得点を記録。 他にも12. 7リバウンド3. 7アシスト2. 5ブロックと多くの部門で軒並み高い数字を残し、シーズン通算1,042リバウンド、フィールドゴール成功数764本、フリースロー成功数560本はリーグ1位となった。 また苦手としているフリースローでも成功率. 799とダンカンとしては非常に良い数字を残してる。 当然のようにオールNBA、ディフェンシブ1stチームに選ばれると共に、 も初受賞した。 スパーズは新たにとを獲得し、このシーズンも58勝24敗の好成績を維持したが、プレーオフでは結果を残せなかった。 1回戦では全盛期を遥かに過ぎたに3勝2敗にまで粘られると、カンファレンス準決勝ではまたもやレイカーズの前に1勝4敗で完敗。 ダンカンはこのシリーズで平均29. 0得点17. 2リバウンドの成績で前年の酷評を打ち消す大活躍だったが、スパーズはロビンソンが36歳となっており、ダンカンをサポートできる選手の補強が急務となった。 新しい仲間とツインタワーの終焉 [ ] も、平均23. 3得点のほかキャリアハイとなる12. 9リバウンド3. 9アシスト2. 9ブロックを記録し、2年連続シーズンMVP受賞を達成する。 チーム改革を進めるスパーズは1999年の優勝を知る者はダンカンとロビンソン、、の4人のみとなり、すでにエイブリー・ジョンソンやショーン・エリオットらの姿は無かった。 新たにチームの核を形成するのはのスティーブン・ジャクソンに守備のスペシャリストであるブルース・ボウエン、そしてこの年から加わったのとペネトレイターのだった。 特にダンカンとパーカー、ジノビリ、ボウエンらは今後数年に渡ってスパーズ不動の中心選手となる。 そしてダンカンの盟友デビッド・ロビンソンはこのシーズン限りをもって引退する意思を示しており、ポポヴィッチHCは彼にプレーオフに集中してもらうためにレギュラーシーズン中の出場を制限した。 高齢化問題を解消し、若手、中堅、ベテランとバランスの良い布陣となったスパーズは60勝22敗、リーグ1位の勝率でプレーオフに突入した。 スパーズは1回戦で擁するに苦戦しながらも4勝2敗で破ると、カンファレンス準決勝で宿敵レイカーズと対決。 ダンカンはシリーズが決した第6戦で37得点16リバウンドをあげるなどし、スパーズは4勝2敗で宿願となる打倒レイカーズを果たすとともに3年間続いたレイカーズによるリーグ支配に終止符を打った。 カンファレンス決勝でマーベリックスを降したスパーズは、1999年以来となるファイナルに進出。 率いると対決するが、ネッツにはダンカンに抵抗できるようなビッグマンはおらず(が居たが、故障とヘッドコーチとの確執などで満足にプレイできなかった)、ダンカンは第1戦から思う存分暴れ回り、32得点20リバウンド6アシスト7ブロック3スティールと5部門全てでチームハイを叩き出し、チームを勝利に導いた。 早くもファイナルはスパーズの楽勝ムードに包まれたが、第2戦以降ネッツがダンカンに徹底したダブルチームを敷いたこともあり、ネッツに2敗を喫したスパーズは3勝2敗で第6戦を迎えた。 この試合でダンカンは21得点20リバウンド10アシスト8ブロックと、あとブロック2本でに迫る快記録を残し、ネッツを粉砕。 88対78で勝利したスパーズが4年ぶりの優勝を飾った。 ファイナル中平均24. 2得点17. 0リバウンド5. 3アシスト5. 3ブロックを記録したダンカンは2回目となるを受賞。 第6戦での8ブロックはファイナルタイ記録、合計32ブロックはの記録を抜くファイナル新記録となった。 この優勝をもって盟友ロビンソンは現役から引退し、6年間他チームの脅威であり続けたツインタワーは終焉を迎えた。 シーズン終了後、『』はダンカンとロビンソンを2003年の年間最優秀スポーツ選手に選んだ。 フランチャイズプレイヤーへ [ ] ロビンソンの引退によりスパーズは新たな時代を迎え、パーカー、ジノビリ、ボウエンに加え、多才な人フォワードの、レイカーズ時代にはスパーズを苦しめたが加わり、ダンカンにはロビンソンが十余年で築き上げた遺産を引き継ぎ、スパーズの真のリーダーになることが求められた。 少なくとも数字上ではダンカンはロビンソン退団前と何ら変わらぬプレイを見せていた。 は平均22. 3得点12. 4リバウンドをあげ、チームも57勝25敗と前年から3勝減だったもののリーグ3位の好成績だった。 プレーオフ1回戦ではが所属するを4戦全勝で降すと、カンファレンス準決勝で因縁のレイカーズと対決。 このシーズン、レイカーズはカール・マローンにと大物2人を獲得するという思い切った補強をしていたが、マローンの故障もありレギュラーシーズン中は補強の効果はあまり見られず、成績ではスパーズに劣る56勝26敗の成績だった。 スパーズは第1戦、2戦を連勝するも、第3戦ではダンカンが10得点に抑えられたことで敗北すると、以降連敗を重ね、第5戦ではレイカーズのによる残り0. 4秒からの大逆転ショットを許し、結局スパーズは4連敗で敗退した。 ロビンソンの回想によれば、当初ダンカンはチームリーダーという重責を担うことに抵抗を感じていたらしく、ダンカンが真のリーダーシップを得るには若干の時間を要したようである。 2005年の優勝 [ ] ピストンズ(当時)のベン・ウォレスとマッチアップするティム・ダンカン 、ダンカンは故障の影響もあって過去最低となる平均20. 3得点11. 1リバウンドの成績に終わるが、チームは引き続き好調でこのシーズンは59勝23敗を記録。 プレーオフではやスーパーソニックスを破って順調にカンファレンス決勝に進出し、このシーズンを獲得して大躍進を遂げたフェニックス・サンズと対戦。 リーグ1位のオフェンス力を誇るサンズ相手にディフェンス重視のスパーズは珍しくハイスコアゲームを展開したが、サンズの脆いディフェンスを突き崩したスパーズが4勝1敗でシリーズを制し、2年ぶりのファイナル進出を果たす。 ファイナル、前年レイカーズを破って優勝していたとの対決はダンカンにとっては試練となった。 ピストンズが誇る2人のビッグマン、とラシード・ウォーレスを相手にしなければならなかったからである。 ベンは4度の最優秀守備選手賞に輝くローポストディフェンスの鬼であり、また大学時代からのライバルであるラシードも厄介な好ディフェンダーだった。 ダンカンは2人のウォーレスの徹底したダブルチームに苦み得点が伸び悩んだが、マヌ・ジノビリの活躍もあって第1戦、第2戦をスパーズが連勝する。 しかしでの第3戦、4戦はピストンズが連勝したが、第5戦のの価千金の逆転で優位に立つも、実力伯仲の両者は3勝ずつしてシリーズは第7戦までもつれた。 第7戦では頼れる大黒柱が復活、第3Qでこの日最大の9点ビハインドを背負ったスパーズは、ダンカンが第3Qだけで15得点をあげる活躍を見せ、第4Q最初のダンカンのダンクがスパーズの優勝を決定付けた。 逆転を果たしたスパーズはこのリードを守りきり、4勝目を奪取。 見事に前年と前々年のチャンピオンチーム同士の頂上決戦を制し、3度目の優勝を果たした。 2人のウォーレスに苦しんだダンカンだったが、終わってみればシリーズ平均20. 6得点14. 1リバウンド、全試合でダブル・ダブルを達成する活躍であり、、、シャキール・オニールに続いて史上4人目となる3度目のファイナルMVPを受賞した。 周囲からは得点でチームを牽引したジノビリの方が相応しいのではないかとの声もあったが、ポポヴィッチHCは「ティミーの完璧な試合運びはとても健全で、基本的で、時にあまり目立たないものだ。 人々は彼が得点しなかったら「彼は何もしなかった」と騒ぐが、彼はとても素晴らしかったし、私達を優勝させた原動力だった」とコメントし、マッチアップしたベン・ウォーレスも「彼は偉大な選手がそうするように、彼のチームを肩に背負い、チャンピオンシップに導いた」と賞賛。 もはやダンカンのリーダーシップを疑う者は居なかった。 ビッグスリー [ ] 優勝や数多の個人賞と数々の名誉を手に入れたダンカンにとって残された最後の仕事がファイナル連覇だったが、連覇の期待が掛かった、ダンカンはに苦しみ、ルーキーイヤーから続いた平均20得点10リバウンド以上がついに途絶え、18. 6得点11. 0リバウンドとなり、やはりルーキーイヤーから選ばれ続けたオールNBA1stチームの選考からも漏れ、2ndチーム選出となった。 ダンカンの不調に、しかしスパーズはかつてない勢いで勝ち続けた。 この頃から ビッグスリーと呼ばれていたダンカンにトニー・パーカー、マヌ・ジノビリの力関係に変化が見られ始め、それ以前はダンカンがスパーズの絶対的なエースとして君臨していたが、このシーズンに特にパーカーが急速な成長を見せたため、ダンカンの負担が大きく軽減された。 パーカーはダンカンにかわってリーディングスコアラーとしてチームを牽引し、ジノビリは卓越した技術と爆発力でチームに活気をもたらし、そしてダンカンは攻守両面における要としてチームを支える存在となった。 スパーズはチーム史上最高勝率となる63勝19敗を記録。 プレーオフでは1回戦でを破ると、カンファレンス決勝でダラス・マーベリックスと対決。 同じに本拠地を置き、同じにチームの最重要選手を置く実力伯仲の両者は熾烈な争いを展開。 レギュラーシーズン中は故障の影響でプレーをセーブしていたダンカンだったが、プレーオフでは本来の姿を取り戻して見違えるような活躍をし、マーベリックスのエース、の平均27. 1得点に対し、ダンカンは平均32. 2得点11. 7リバウンドをあげた。 しかしダンカンの身を削ったプレイをもってしてもこの激戦を制することができず、第7戦では41得点15リバウンド6アシストをあげるが、延長戦にもつれた末にマーベリックスに惜敗。 連覇の夢は叶わなかった。 2007年の優勝 [ ] プロ10年目、30歳となるを迎えたダンカンは、成績を平均20. 0得点10. 6リバウンドに回復させ、オールNBA1stチームにも復帰。 チームは58勝24敗を記録してプレーオフも順調に勝ち進んだ。 このシーズンはレギュラーシーズンで断トツの勝率を残したダラス・マーベリックスが優勝候補だったが、マーベリックスが1回戦で敗退してしまったことで、カンファレンス準決勝でのフェニックス・サンズとスパーズのシリーズが事実上の優勝決定戦となった。 サンズとのシリーズは乱闘騒ぎも発生するなど荒れた内容となったが、サンズを得意な相手としているスパーズは4勝2敗でサンズを降すと、カンファレンス決勝ではを破り、ファイナルに進出。 とのシリーズでは、キャバリアーズの若きエース、にエースキラーのブルース・ボウエンがマッチアップするが、そのボウエンの後ろにダンカンが控えているとあっては、さしものレブロンも手も足も出なかった。 チーム間の実力に明らかな差があるシリーズとなったファイナルは、スパーズが4戦全勝でキャバリアーズを一蹴。 4度目の優勝を飾ったが、先の3回の優勝と違う点はファイナルMVPを受賞したのがダンカンではなく、トニー・パーカーであったことである。 ダンカンもシリーズ平均18. 3得点11. 5リバウンドと活躍したが、それ以上に平均24. 5得点をあげたパーカーの活躍が目覚しかった。 しかし優勝のためにダンカンの貢献が不可欠であった点は変わることなく、ポポヴィッチはダンカンを「公分母」とたとえ、「99年、03年、05年と彼の周りには異なるメンバーがいた。 ダンカンは彼らを皆受け入れた。 ダンカンとのプレイはとても容易で、彼はとても基本的であるため、皆彼に適合し易かったんだ」と語った。 またファイナルを観戦したNBAコミッショナーは「彼は同世代で最も優れた選手だ」と認めた。 連覇への壁 [ ] スパーズに再び連覇のチャンスが訪れたは、ダンカンは平均19. 3得点11. 3リバウンド、スパーズは56勝26敗の成績を残した。 プレーオフ1回戦では、元レイカーズで過去に何度もスパーズとダンカンを苦しめてきたシャキール・オニールが電撃移籍してきた、打倒スパーズを目指すフェニックス・サンズと対戦。 ダブルオーバータイムにもつれる接戦となった第1戦は、1つ目のオーバータイム終盤で3点ビハインドを背負った状況からダンカンの珍しい3Pシュートが決まるという劇的な場面も見られ、ダンカンが40得点をあげたスパーズが勝利。 勢いに乗ったスパーズは4勝1敗でこのシリーズを制した。 カンファレンス準決勝ではライジングチームのと対戦。 若手No. 1ポイントガードのに手を焼いたもののこれも4勝3敗で辛うじて退け、夢の連覇にまた一歩近づいたが、ダンカンの前に立ちはだかったのがオニールの放出による一時の低迷から復活したロサンゼルス・レイカーズだった。 コービー・ブライアントにパウ・ガソル擁するレイカーズに、ホーネッツとのシリーズで疲弊していたスパーズは1勝するのがやっとで、1勝4敗でまたもやスパーズの連覇はならなかった。 衰えの始まり [ ] はダンカンの衰えが指摘され始めたシーズンだった。 膝に慢性的な故障を抱えるダンカンは、それでも平均19. 3得点10. 7リバウンドと立派な成績を残し、チームもダンカンの他にマヌ・ジノビリなどの故障を抱えた状況ながら、ディビジョン1位となる54勝28敗をあげた。 しかし1999年の優勝以降に襲われた高齢化問題に再び直面するスパーズは、力を着けたレイカーズやなどの優勝候補チームの有力な対抗馬とは見なされず、プレーオフでは1回戦でダラス・マーベリックスの前に敗退。 スパーズにとっては2000年以来となる1回戦敗退となった。 は主力の高齢化がさらに進み。 ポポヴィッチはプレーオフに向けたレギュラーシーズンの徹底的なプレータイムの管理を行った。 ダンカンもプロ入り以来最も短いプレータイムとなり、平均17. 9得点とキャリア最低の平均得点となりプレーオフに突入した。 万全の体調で迎えたプレーオフ一回戦で第2シードのマーベリックスを撃破しアップセットを達成。 しかし、カンファレンスセミファイナルではサンズに0勝4敗のスィープを喫しシーズンを終了した。 はダンカン率いるスパーズはウェスタンカン・ファレンスを首位で突破。 だがプレイオフ初戦でとの弟の率いる第8シードのと対戦。 グリスリーズは徹底的にダンカンにマークしてインサイドを制圧し、4勝2敗でチーム史上初のプレイオフで勝利をあげた。 第1シードのチームが第8シードのチームに負けることは珍しくファーストラウンドが7試合制になった以降としては史上2回目の出来事だった。 NBAオールディフェンシブチームは ティム・ダンカンの通算14回が最高記録 円熟と数々のマイルストーン [ ] 2012-2013シーズンには、オールNBAファーストチーム、オールディフェンシブセカンドチームに選出された。 2013年、カンファレンス・ファイナル第3戦で、ダンカンはプレーオフでの通算ダブルダブルを144とし、143回のを抜き、歴代2位となった。 1位はマジック・ジョンソンの157回、4位はシャキール・オニールの142回、5位はの137回である。 、、の擁するとの対決となったNBAファイナルは、近年希に見る接戦となり、これまで4度のファイナル進出ではすべて優勝していたが、初めてファイナル敗退を喫した。 最終戦の勝負所で、ティップショットを外したダンカンは、珍しく感情を露わにし、フロアーを叩いて悔しがった。 このファイナル敗退は、生涯忘れることはないだろうと語っている。 2014年プレーオフ、カンファレンスセミファイナル第3戦で、ポストシーズン通算得点で、を抜き歴代5位となった。 またこの試合で通算プレーオフ出場試合数を221試合とし、1フランチャイズでの最多出場選手となった。 2位はの220試合であり、この試合数は他の15フランチャイズのプレーオフ全試合数よりも多い。 複数チームでの出場数では、の250試合、の244試合、の237試合が上位にある。 カンファレンス優勝を決めた第6戦の勝利で、ダンカンは通算勝利数を1,042勝とし、歴代4位で、と並んだ。 ファイナル第3戦に引き続き4戦もアウェイでヒートに圧勝するなかで、4戦で、10得点11リバウンドを記録し、プレーオフ、ダブルダブル記録を 158とし、更にファイナル出場時間もを超え、歴代単独1位となった。 この更新に関して、ジャバーはで賞賛のをしている。 ファイナル第5戦もヒートを圧倒し、5度目のチャンピオンとなった。 通算勝利数は 1,046となり歴代4位となった。 1位はジャバーの1,228勝、2位はの1,121勝、3位はの1,050勝である。 シーズン終了後、引退も囁かれたが、プレーヤーオプションを行使し18年目となる2014-2015シーズンも現役続行を決めた。 レギュラーシーズン勝利数記録は、ジャバー1,074勝、パリッシュ1,014勝、953勝、マローン952勝、この時点でのダンカンは898勝である。 2014-15シーズンは、開幕から安定したプレーで、5戦目の戦で、通算800回目のダブルダブルを記録し 、11月14日のレイカーズ戦でレギュラーシーズン通算25,000得点目を記録し、ダブルダブルでチームを勝利に導いた。 12月05日の対グリズリーズ戦で、14得点10アシスト10リバウンドを獲得し、自身通算8度目(レギュラーシーズン4回)のトリプル・ダブルを記録した。 これは、の40歳に次ぎ、38歳244日で第2位の年長記録となった。 12月31日のペリカンズ戦を延長で制する中、を抜き、歴代10位となる14,250リバウンドを達成し、814回目のダブルダブルで、歴代5位のカール・マローンに並んだ。 2月23日の戦で、 18年連続シーズンリバウンド500以上を達成し、ロバート・パリッシュと並び、 歴代1位となった。 2位は16年で、。 4月22日、プレーオフファーストラウンド第2戦となる戦、開始直後、フローティングジャンプショットを決め、プレーオフ通算5,001得点を達成した。 歴代で5,000得点以上を達成しているのは、 5,987 、 5,762 、 5,640 、 5,250 とダンカンの5人だけである。 オーバータイムとなったこの試合で、28得点、11リバウンドを挙げ勝利に貢献し、通算得点を5,027得点とした。 このシーズンは、1stラウンドでに敗れたが、プレーオフ出場試合数は 歴代3位の 241試合に達した。 2015年7月2日、ダンカンは引退説を一掃し、スパーズと1年間の契約を結び、覇権奪回に挑むことになった。 開幕3戦目の戦で勝利し、、とのトリオのレギュラーシーズン勝利数は 541勝となり NBA歴代1位となった。 歴代2位のトリオはの、、で、540勝 729試合。 この時点でとダンカンでの勝利数は953勝でこちらも 歴代1位を更新中であり 、との記録と、との記録がこの記録に次ぐ。 2015年11月2日、で行われた戦で、16得点、10リバウンド、6アシストを記録し、スパーズを勝利に導き、 同一チームに於けるレギュラーシーズン勝利数を 954勝とし、で953勝を達成したを抜き、 歴代1位の記録を打ち立てた。 3位はユタ・ジャズのの919勝である。 2016年2月26日の戦で 、レギュラーシーズン通算3,000ブロックを記録した。 また、6リバウンドを記録し、の通算14,968リバウンドの記録を抜き、 歴代6位となった。 2015-16シーズン終了時点でのリバウンド数 順位 プレーヤー レギュラーシーズン総リバウンド数 プレーオフ総リバウンド数 1 23,924 3,913 2 21,620 4,104 3 17,440 2,481 4 16. 279 1,244 5 16. 212 1,295 6 ティム・ダンカン 15,091 2,859 7 14,968 2,062 8 14,715 1,765 9 14,662 1,534 10 14,464 1,101 2015-16シーズン終了時点でのブロック数 順位 プレーヤー レギュラーシーズン総ブロック数 プレーオフ総ブロック数 1 3,830 472 2 3,289 251 3 3,189 476 4 3. 064 210 5 ティム・ダンカン 3,020 568 6 2,954 312 7 2,894 303 8 2. 732 459 9 2,542 134 10 2,361 309 2016年3月15日、ホームでの戦で、を超え 歴代14位となる26,397得点を記録した。 4月12日、最終ホームゲームとなった戦で出場試合数が 1,392となり、を超えて歴代7位となった。 この試合はオーバータイムの末に勝利し 、 NBAシーズンホーム最多勝利記録、1985-86シーズン、の 40勝 1敗 に並んだ。 629 との対戦となったプレーオフ・ファーストラウンドで、第1戦、第2戦に続き、第3戦、第4戦もスターターとして出場、とを欠くグリズリーズを問題とせず全て勝利し、プレーオフ通算245試合に出場し、試合数歴代2位の元チームメイトを超え、の259試合に次ぐ歴代2位となった。 またこの時点で、プレーオフ通算155勝とし、歴代3位のジャバーの記録を抜き、オーリーと並び歴代2位のプレーオフ勝利数を記録した。 2016年終了時で157勝。 1位はフィッシャーの166勝。 2016年6月28日、の契約 プレーヤーオプション を行使して、現役続行を決意した かに思われた。 現役引退へ [ ] 2016年7月11日、スパーズは記者会見を開き、ダンカンの現役引退を発表。 スパーズに5度の栄冠をもたらしたダンカンは、遂に19年にわたる選手生活に終止符を打ったのであった。 2016年11月16日、スパーズはダンカンが着用していた背番号「21」を永久欠番にすることを発表。 同年12月18日の戦の試合後に永久欠番セレモニーが盛大に執り行われた。 2020年4月4日、現役時代の多大な功績から、1月にヘリコプター事故で急逝したらと共にしたことが発表された。 チームメイト デプス [ ] 入団以来の各シーズンのデプス サンアントニオ・スパーズ1997-1998年シーズンのデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: SG: SF: PF: C: サンアントニオ・スパーズ1998-1999年シーズンのデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: SG: SF: PF: C: サンアントニオ・スパーズ1999-2000年シーズンのデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: SG: SF: PF: C: サンアントニオ・スパーズ2000-2001年シーズンのデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: SG: SF: PF: C: サンアントニオ・スパーズ2001-2002年シーズンのデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: SG: SF: PF: C: サンアントニオ・スパーズ2002-2003年シーズンのデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: SG: SF: PF: C: サンアントニオ・スパーズ2003-2004年シーズンのデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: SG: SF: PF: C: サンアントニオ・スパーズ2004-2005年シーズンのデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: SG: SF: PF: C: サンアントニオ・スパーズ2005-2006年シーズンのデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: SG: SF: PF: C: サンアントニオ・スパーズ2006-2007年シーズンのデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: SG: SF: PF: C: サンアントニオ・スパーズ2007-2008年シーズンのデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: SG: SF: PF: C: サンアントニオ・スパーズ2008-2009年シーズンのデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: SG: SF: PF: C: サンアントニオ・スパーズ2009-2010年シーズンのデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: SG: SF: PF: C: サンアントニオ・スパーズ2010-2011年シーズンのデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: SG: SF: PF: C: サンアントニオ・スパーズ2011-2012年シーズンのデプス 2011年レギュラーシーズン序盤のデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: SG: SF: PF: C: レギュラーシーズン終盤のデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: 6th man SG: SF: PF: C: 2012年プレーオフのデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: 6th man SG: SF: PF: C: サンアントニオ・スパーズ2012-2013年シーズンのデプス '2012年レギュラーシーズン序盤のデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: 6th man SG: SF: PF: C: '2012年レギュラーシーズン終盤のデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: 6th man SG: 故障 SF: 4月退団 PF: 故障 C: '2013年プレイオフのデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: 6th man 1stラウンド故障欠場 2ndラウンド故障欠場 アロン・ベインズ SG: SF: PF: C: サンアントニオ・スパーズ2013-2014シーズンのデプス '2013年レギュラーシーズン前半のデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: 6th man SG: SF: PF: C: '2013年レギュラーシーズン後半のデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: 6th man SG: SF: PF: C: '2014年プレーオフのデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: 6th man SG: SF: PF: C: サンアントニオ・スパーズ2015-2016シーズンのデプス 2015年レギュラーシーズン序盤のデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: SG: 6th man SF: PF: C: 2015年レギュラーシーズン中盤のデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: SG: 6th man SF: PF: C: 2015年レギュラーシーズン終盤のデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: SG: 6th man SF: PF: C: 2016年プレーオフのデプス ポジション スターター 2nd. 3rd. 控え inactive PG: SG: 6th man SF: PF: C: 代表歴 [ ] ダンカンはのに選ばれたが、この時はロックアウトの影響でNBA選手の代表入りは見送られ、大学生選手やの選手と入れ替わっている。 ダンカンが初めて代表チームに参加したのは1999年のオリンピック予選を兼ねたであり、彼は大会平均12. 7得点9. 1リバウンド2. 4ブロックの成績でチームを優勝に導いた。 しかし本番のは膝の故障で参加できなかった。 2003年のアメリカ選手権でも代表入りし、平均15. 6得点8. 0リバウンドを記録して優勝。 満を持してに出場するも、アメリカ代表は期待を裏切ってダンカンのチームメートであるがいるに敗北するなど同大会で3敗を喫し、銅メダルに終わった。 アメリカ代表がオリンピックにNBA選手を送り出すようになって以来、金メダルを獲得できなかったのは初めてのことだった。 ダンカンはオリンピック終了後、代表から引退することを表明。 ダンカンは代表に5回参加し、40の国際試合に出場した。 プレースタイルと評価 [ ] 一つ一つのプレーの安定感・正確さ、自己犠牲もいとわないチームを第一に考えた献身的な態度、勝者のメンタリティを持つ精神的に浮ついたところのない逞しさなど、現役時代は最も信頼されたの一人であった。 アウトサイドからのシュートも驚くべき正確性を誇る攻守ともに抜群の才能を見せる。 ダンカンがプレイする時代のNBAはの層が非常に充実しており、彼がNBA入りした頃にはや、らが、そして彼の同世代にはや、、らが居たが、そんな猛者たちを抑えてルーキーイヤーから8年連続オールNBA1stチームに選出され続けたことは、彼が同時代における最高のパワーフォワードであったことを意味している。 また優勝5回、シーズンMVP2回、ファイナルMVP3回と、過去これに匹敵するほどの実績を残したパワーフォワードはおらず、カール・マローンを指導したのHCをしてダンカンを「 史上最高のパワーフォワード」と言わしめたほどである。 また11回の優勝を誇るはダンカンを「同世代において最も有能な選手」と評し、も彼の意見を支持した。 身体能力が高いほうではないが、抜群のバスケットIQと無駄を一切排したプレースタイルで、ダンカンはリーグトップクラスのスコアラーであり、リバウンダーであり、ショットブロッカーであり、ディフェンダーであり、そしてクラッチプレーヤーであった。 重要な時間帯ほど多用されるダンカンの1on1は、ミドルポストでディフェンダーと正対した状態から開始され、その場からのジャンプシュートやドライブからのフックシュートなどが展開され、それは至極単純なプレーであるが彼を止めることは困難だった。 バックボードの使い方が非常に優れており、バンクショットを得意としていることでも知られ、またパスセンスも高く、ディフェンダーに囲まれた際もフリーの味方にパスアウトできる判断力と柔軟性を持ち合わせていた。 通算達成回数歴代1位という成績が示すように、抜群の安定感を持っていることもダンカンの大きな長所である。 スパーズのチームカラーである強力なディフェンスも、ダンカンの存在が根底にあり、が現役時にはペリメーターにボウエン、インサイドにダンカンと鉄壁の守備が構築され、多くのスコアラーが袋小路に迷い込んでは彼らの餌食となった。 さらにプレーオフに入ると個人成績が軒並み上昇することからも分るように、より重要な試合で真価を発揮できる選手である。 2001-2002シーズンでは得点、リバウンド、ブロックショットなどの5つの部門でリーグトップ10入りを果たした。 全試合フル出場の回数こそ少ないものの全てのシーズンで65試合以上出場しており、接触プレーが多いインサイドのポジションを主戦場とするが怪我にも強かった。 大黒柱ダンカンの長期欠場が少ないため、チームもダンカンが加入した1997-1998シーズン以降全30チーム唯一の「全てのシーズンで勝率6割以上」を記録している。 勝利への道を最短で行くような彼のプレーはしばしば「退屈である」と指摘され、1999年の優勝時に誌はファイナルMVPに輝いたダンカンを「静かで退屈なMVP」と評し、またから付けられたニックネーム、"The Big Fundamental"も最初は決してダンカンを賞賛する意味ではなかった(ただし、スポ・イラもシャックもダンカンが築いた実績に対しては賞賛を惜しまない)。 このような評価に対してダンカンは「気にならない。 好きなように批評すればいい」と泰然自若の態度である。 683 39. 549. 000. 662 11. 9 2. 7 0. 7 2. 5 3. 40 21. 1 SAS 50 50 37 13. 740 39. 495. 143. 690 11. 4 2. 4 0. 9 2. 5 2. 92 21. 7 SAS 74 74 48 26. 649 38. 490. 091. 761 12. 4 3. 2 0. 9 2. 2 3. 27 23. 2 SAS 82 82 58 24. 707 38. 499. 259. 618 12. 2 3. 0 0. 9 2. 3 2. 95 22. 2 SAS 82 82 58 24. 707 40. 508. 100. 799 12. 7 3. 7 0. 7 2. 5 3. 21 25. 5 SAS 81 81 60 21. 732 39. 513. 273. 710 12. 9 3. 9 0. 7 2. 9 3. 06 23. 3 SAS 69 68 51 18. 750 36. 501. 167. 599 12. 4 3. 1 0. 9 2. 7 2. 65 22. 3 SAS 66 66 50 16. 758 33. 496. 333. 670 11. 1 2. 7 0. 7 2. 6 1. 92 20. 3 SAS 80 80 61 19. 763 34. 484. 400. 629 11. 0 3. 2 0. 9 2. 0 2. 48 18. 6 SAS 80 80 58 22. 725 34. 546. 111. 637 10. 6 3. 4 0. 8 2. 4 2. 80 20. 0 SAS 78 78 54 24. 692 34. 497. 000. 730 11. 3 2. 8 0. 7 2. 0 2. 28 19. 3 SAS 75 75 49 26. 653 33. 504. 000. 692 10. 7 3. 5 0. 5 1. 7 2. 20 19. 3 SAS 78 77 47 31. 603 31. 518. 000. 725 10. 1 3. 2 0. 6 1. 5 1. 79 17. 9 SAS 76 76 60 16. 789 28. 500. 180. 716 8. 9 2. 7 0. 7 1. 9 1. 61 13. 4 SAS 58 58 45 13. 776 28. 492. 000. 695 9. 0 2. 3 0. 7 1. 5 1. 67 15. 4 SAS 69 69 50 19. 725 30. 502. 286. 817 9. 9 2. 7 0. 7 2. 7 2. 13 17. 8 SAS 74 74 56 18. 757 29. 490. 000. 731 9. 7 3. 0 0. 6 1. 9 2. 15 15. 1 SAS 77 77 53 24. 688 28. 512. 286. 740 9. 1 3. 0 0. 8 1. 9 1. 7 13. 9 SAS 61 60 50 11. 820 25. 488. 000. 702 7. 3 2. 7 0. 3 1. 3 1. 5 8. 6 キャリア Avg. 3 73. 1 52. 6 20. 719 34. 506. 179. 696 10. 8 3. 0 0. 7 2. 2 2. 4 19. 0 キャリア Total 1392 1389 1,001 391. 600 20. 548. 250. 765 9. 1 2. 5 2. 1 9. 444 41. 521. 000. 667 9. 0 1. 9 0. 6 2. 6 2. 78 20. 7 SAS 17 17 15 2. 882 43. 511. 000. 748 11. 5 2. 8 0. 8 2. 7 3. 06 23. 2 SAS 0 0 - - - - - - - - - - - - - SAS 13 13 7 6. 538 40. 488 1. 000. 639 14. 5 3. 8 1. 1 2. 7 3. 85 24. 4 SAS 9 9 4 5. 555 42. 453. 333. 822 14. 4 5. 0 0. 7 4. 3 4. 11 27. 6 SAS 24 24 16 8. 667 42. 529. 000. 677 15. 4 5. 3 0. 6 3. 3 3. 17 24. 7 SAS 10 10 6 4. 400 40. 522. 000. 632 11. 3 3. 2 0. 8 2. 0 4. 20 22. 1 SAS 23 23 16 7. 696 37. 464. 200. 717 12. 4 2. 7 0. 3 2. 3 2. 70 23. 6 SAS 13 13 7 6. 538 37. 573. 000. 718 10. 5 3. 3 0. 9 1. 9 2. 62 25. 8 SAS 20 20 16 4. 800 36. 521. 000. 644 11. 5 3. 3 0. 6 3. 1 2. 95 22. 2 SAS 17 17 9 8. 471 39. 449. 200. 626 14. 5 3. 3 0. 9 2. 1 2. 41 20. 2 SAS 5 5 1 4. 200 39. 532. 000. 607 8. 0 3. 2 0. 6 1. 2 1. 40 19. 8 SAS 10 10 4 6. 400 39. 520. 500. 478 9. 9 2. 6 0. 8 1. 7 2. 40 19. 0 SAS 6 6 2 4. 333 39. 478. 000. 625 10. 5 2. 7 0. 5 2. 5 3. 00 12. 7 SAS 14 14 10 4. 714 33. 495. 000. 707 9. 4 2. 8 0. 7 2. 1 1. 50 17. 4 SAS 21 21 15 6. 714 35. 470. 000. 806 10. 2 1. 9 0. 9 1. 6 2. 0 18. 1 SAS 23 23 16 7. 696 32. 523. 000. 760 9. 2 2. 0 0. 3 1. 3 1. 1 16. 3 SAS 7 7 3 4. 429 35. 589. 000. 559 11. 1 3. 3 1. 3 1. 4 1. 0 17. 9 SAS 10 10 6 4. 600 21. 423. 000. 714 4. 8 1. 4 0. 2 1. 3 1. 0 5. 9 キャリア Avg. 4 13. 4 8. 7 5. 625 37. 501. 143. 689 11. 4 3. 0 0. 7 2. 3 2. 5 20. 6 キャリア Total 251 251 157 94. 625 9,370 1,975-3,939 5-35 1,217-1,766 2,859 764 168 568 633 5,172 タイトル・記録 [ ] タイトル [ ]• ジョン・ウッデン賞:1997• ネイスミス賞:1997• NBAチャンピオン:1999, 2003, 2005, 2007,2014• レギュラーシーズンMVP:2002, 2003• ファイナルMVP:1999, 2003, 2005• オールスターMVP:2000(と共同受賞)• ルーキー・オブ・ザ・イヤー:1998• 1stチーム:1998, 1999, 2000, 2001, 2002, 2003, 2004, 2005, 2007, 2013• 2ndチーム:2006, 2008, 2009• 3rdチーム:2010• オールディフェンシブチーム• 1stチーム:1999, 2000, 2001, 2002, 2003, 2005, 2007, 2008• 2ndチーム:1998, 2004, 2006, 2009, 2010, 2013• IBM選手賞:2002• The Sporting News 最優秀選手:2002• ACC50周年記念オールタイムチーム:2003• APBR(Association for Professional Basketball Research)選出の「20世紀の偉大なプロバスケットボール選手100人」の1人:2007• が選ぶNBAオールタイム選手Top50において第8位:2009 歴代記録 [ ]• レギュラーシーズン ダブル・ダブル達成試合数 830試合 歴代1位• プレーオフ ダブル・ダブル達成試合数 164試合 歴代1位• 18年連続シーズンリバウンド500以上 歴代1位• 同一チームに於けるレギュラーシーズン勝利数 954勝 歴代1位• オールNBAチーム、オールディフェンシブチーム両方選出 13年連続 1997-2010 歴代1位• オールNBAチーム 15回選出 歴代1位• オールディフェンシブチーム 15回選出 歴代1位 個人記録 [ ]• 最多得点:53得点(対 戦 )• 最多リバウンド:27本(対 戦 )• 最多ブロック:9(対 戦• 最多アシスト:11(2回• 最多スティール:8(対 戦• 最多フリースロー成功:17本(対 戦• 最多出場時間:52分(対 戦• ファイナルMVPを3回以上受賞するという偉業は(3回)と(6回)、(3回)に続き史上4人目の快挙。 デビューから2010年まで、 オールNBAチームとオールディフェンシブチームの両方に選出され続けている。 13年連続は史上最多。 2位の記録は7年連続のデビッド・ロビンソン。 入団以来8年連続でオールNBA1stチームに選出された5人目の選手。 残りは(10年連続)、(10年連続)、(9年連続)、(9年連続)の4人。 2005-06シーズンには故障を抱えたままでのプレイが続いたため1stチームには選出されず、この記録は途絶えたが、翌シーズンには復調し、返り咲いた。 私生活・家族など [ ] ダンカンの2人の姉、シェリルとトリシアもダンカン同様にスポーツの才能に恵まれ、トリシアはの競泳代表だった。 ダンカンは2001年に結婚し、2005年に長女が、2007年には長男が生まれた。 ダンカンの元妻、エイミーはや、ヴァージン諸島でチャリティー活動を展開するティム・ダンカン財団を管理していた。 財団は年2回、とゴルフのチャリティー大会を開催して募金を集めており、2001年から2002年にかけては前立腺がん支援のために35万ドルの募金を集めた。 これらの活動が評価され、The Sporting Newsから"Good Guy"を受賞している。 元妻のエイミーとはNBAきってのとして知られていたが、の直前に離婚が成立した。 なお、元妻との間に生まれた2人の子供の親権は、ダンカンの所有となっている。 7年ぶりにNBAチャンピオンに輝いた時は、2人の子供もコート上に招き入れて喜びを分かち合った。 エピソード [ ]• ダンカンが着用する背番号『21』は彼の義理の兄弟が大学で着けていた番号だった。 趣味はテレビゲームで、のコレクターでもある。 2007年4月15日の対の試合で、レフェリーのによるダブルコールで退場となった。 退場を宣告された理由は、ダンカンがベンチからクロフォードのことを笑ったからだとされている。 映像によると確かにダンカンは笑っているが、これがクロフォードに対するものかどうかはわからず、ファウルをコールされた際、ダンカン自身もなぜ自分がテクニカル・ファウルを宣告されたか理解できずに苦笑いしている。 クロフォードの挑発による、ダンカンの暴言が元であるとし、結果、クロフォードには出場停止処分、ダンカンには暴言を理由に25,000米ドルの制裁金が課された。 30歳を過ぎてからは出場時間を制限するようになり、オールスター以降は得点やリバウンドといった個人成績が一気に下がる傾向にあるが、これは無理にダンカンを出さなくても勝てるというスパーズの自信の表れであり、チーム状態を測るバロメーターになっている。 上記の通りシーズン終盤にはプレーオフに照準を合わせるためチームから休養を与えられる事も多いが、欠場理由が前代未聞の "old"(年齢による衰え)という理由で休養を命じられた時はさすがのダンカンも苦笑しながらベンチで試合を見つめていた。 (休養目的の欠場でも普通はコーチの判断と申告するか適当なケガをでっち上げて無理矢理休ませる事がほとんどである)• 当然ながら、NBAの長い歴史の中で公式記録として年齢を理由に欠場したのは後にも先にもダンカンただ一人である。 を常に仕掛けてくるが嫌いだという。 脚注 [ ]• が命名• が2005年7月号掲載のインタビュー内で命名した• と同時受賞• ESPN. ESPN Internet Ventures. 2014年9月30日閲覧。 SLUMDUNCAN. com. 2015年4月25日閲覧。 Basketball-reference. com. 2008年5月20日閲覧。 NBA. com 2010年5月6日. 2014年5月8日閲覧。 中山恵『スーパスターに学ぶバスケットボール』株式会社ナツメ社、2003年、102ページ、• NBA. com. 2007年8月14日時点のよりアーカイブ。 2007年8月25日閲覧。 , jockbio. com. Retrieved April 19, 2007. Kernan, Kevin 2000. Slam Duncan. , slamduncan. com. Retrieved January 13, 2008. Kernan, Kevin 2000. Slam Duncan. 20—21. Kernan, Kevin 2000. Slam Duncan. 28—31. com 2015年4月3日. 2015年4月4日閲覧。 USAtoday. com 2015年4月22日. 2015年4月23日閲覧。 NBA. com 2015年11月1日. 2015年11月2日閲覧。 bleacherreport. com 2015年11月1日. 2015年11月2日閲覧。 ESPN. com 2015年11月1日. 2015年11月2日閲覧。 2015年11月3日閲覧。 SAS vs. com 2016年02月27日• USA Today 2016年2月26日. 2016年2月27日閲覧。 poundingtherock. com 2016年2月28日. 2016年2月29日閲覧。 basketball-reference. com 2016年5月. 2016年5月閲覧。 basketball-reference. com 2016年5月. 2016年5月閲覧。 Bleacherreport. 2016年3月16日閲覧。 ESPN. com 2016年4月5日. 2016年4月6日閲覧。 OKC vs. com 2016年04月12日• 2016年4月12日閲覧。 thescore. com 2016年4月22日. 2016年4月23日閲覧。 bleacherreport. com 2016年4月25日. 2016年4月26日閲覧。 www. afpbb. com. 2020年4月5日閲覧。 basketball-reference. com. Sports Reference LLC. 2015年4月15日閲覧。 basketball-reference. com. Sports Reference LLC. 2015年11月6日閲覧。 com 2015年4月3日. 2015-40-04閲覧。 2015年11月3日閲覧。 MSNBC 2007年4月17日. 2007年4月17日閲覧。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 (英語)• ティム・ダンカン --- ドラフト情報 --- (英語)• ティム・ダンカン --- 略歴と生涯成績 --- (英語), (英語), (英語), (英語), (英語).

次の