スマイル・フォー・ミー。 河合奈保子 スマイル・フォー・ミー 歌詞

ザ・タイガース、ビー・ジーズからプレゼントされた新曲「スマイル・フォー・ミー」のレコーディング秘話

スマイル・フォー・ミー

さて、今回から音楽のレビューを書いていくわけなんですが、最近お気に入りの80年代歌から始めちゃいますね。 その1 アーティスト名: 曲名:スマイル・フォー・ミー 作詞:竜 真知子 作曲: 編曲: 発売日: 1981年6月1日 はい出ました、80年代初期のアイドルブームを支えた功労者の一人、さんです。 一般的なや人気でいえば、さんやさんに軍配があがると思いますが、その次ぐらいのポジションを獲得されていたアイドルです。 私が生まれたのは1982年なので、まだ生まれてない時の曲を聴く、なんか不思議な感じがします。 この曲と出会ったのは確かで80年代の歌をまとめたチャンネルがあって、そこで各年代のヒット曲を片っ端から聴いていたんですよ。 そこで耳に止まったのかこの曲でした。 そもそも、リアルタイムでまったく聴いたことがなかったので、今2017年ですよ、1981年っていったら36年前ですよ。 そんな昔の曲なのに、なんと新鮮に聴こえることか、ほんと驚きです。 なんでこんなにクオリティが高いんですかね。 全然劣化していない、むしろ新しい。 私にとっては新曲を聞いてる感じです、今月発売されましたよみたいな。 さて、自分の近況はそこそこにして、曲の感想に移りましょう。 昔の歌番組に出演した時の動画を見る限りでは。 そんな行動をそのまま表したかのような元気いっぱい笑顔いっぱいになれる、そんな予感を感じさせるタイトルです。 まず聴いて驚くのは、「歌声、めっちゃ綺麗やん」です。 声のクリアさもさることながら、音程が正しく取れていて、とっても耳に優しいんです。 現代のアイドルと比べるのは酷ですが、当時はビジュアルはもちろん、、振り付け、受け答えなんかも含めて、ある程度表舞台に立てるように仕立ててからデビューさせてたので、こんなにレベルが高いんですね。 まあ聞きやすいこと、目からウロコです。 で、声はとっても綺麗なのは分かった。 じゃあ楽曲はというと、これもまたとってもリッチ。 当時81年、まだあんまりとか打ち込みがそこまで主流じゃないので、楽器を演奏するとなると「生」が基本。 ドラムやギター、ベース、ピアノ、管楽器(ブラス、トランペット、ストリングスなど)、今やPC一台ひと一人いれば完結する中で、実際に演奏する厚みが伝わってきます。 歌番組とかでも、バックに何十人も演奏する人がいますもんね。 今じゃソロのアーティストに、バックでバンドいたら豪華だなって感じますもん。 いかに当時、勢いと予算が音楽業界にあったのかがわかります。 耳を澄ませて曲を聴くと、いろんな音が重なり合って、決して歌声を潰さないように、引き立て役、時には全面に出ているので、どちらも楽しめるのが魅力ですね。 80年台からアイドルの楽曲を多く手がけていて、さんにも、多数提供されてました。 その他の曲紹介はまたおいおい行って行きますね。 また、テクノやハウスDJをしていた職業病なのか、とにかくノれるかどうか、4つ打ち、いわゆるダンス要素が強いかどうかで良い曲悪い曲を分けちゃう傾向を持ってます笑。 80年代の歌を聴くまで、「歌声がメインなのは分かるけど、楽曲って添え物な感じがするから、そんなにゴリゴリのダンス・ダンスしてないよな。 まして今のEDMみたいに、ドスドスしてたら逆に怖いな」と思っていて、あんまりいい印象持っていなかったんです。 テクノやハウスは4つ打ちのキック音がやたらでかいですから。 このスマイル・フォー・ミー、ドスドスとまでは行かないまでも、しっかり4つ打ちでリズムが取れるんですよ。 ええ~しっかりしてるー、タイトな音出てるーと。 なんでこんなにリズムがしっかり刻めているんだろう。 なんでこんなに複数の音がなっているのにぶつからないんだろう。 そしたらですよ。 編曲家という方が、バックトラックの構成を考え楽器演奏者に指示をしているそうじゃないですか。 全然スマイル・フォー・ミー自体の話、してないですね笑 朝会社に向かう電車の中で、お昼休みにランチを食べながら、帰り道で、ありとあらゆる場所で聴きまくった思い出の曲です。 この曲をきっかけにさんの曲、ひいてはさん作曲作品、さん編曲作品を探すことになったのです。 本来であれば画像やを貼りたいのですが、リンクの設定方法がいまいちわからず。 はいけそうだけど、像は今やキュレーション問題があって、安易に転載がしにくいようなので、しばらくはテキストベースですすめようと思います。 あとでチューニングもかけられますからね。 それでは、また次回、お楽しみに。

次の

スマイル・フォー・ミー(河合奈保子) / コード譜 / ギター

スマイル・フォー・ミー

だが、最近の再発CDでは次のようになっている BARRY A. GIBB) 1969年 5月下旬、ロンドンにて録音 (タイガースは1969年5月27日発の飛行機で渡英、映画『ハーイ!ロンドン』の撮影等を済ませて6月9日に帰国したが、当時の渡辺プロのファンクラブ会報『ヤング』の記事によれば、この曲はロンドンに到着して、まず最初の2日間の内に英国ポリドールのスタジオでレコーディングされたという。 ただし、ハッキリした日時は不明。 同記事によれば、ディレクターは21才のビドウ氏。 なお、タイガース版とは多少構成が異なるビー・ジーズ自身によるデモ・テープも存在したようだ。 録音後の6月1日には曲を作ったビー・ジーズのバリー・ギブとロンドン郊外のプロダクション社長宅で会見、その時のスナップ写真がジャケットにも掲載されている。 1997年にシングルもリリースした沢田研二・岸部一徳・森本太郎によるユニットTea for threeとしてのラジオ番組でメンバー本人が語っていたそうですが、この「スマイル・フォー・ミー」のエンディング部分で、ジュリーの音域が届かず、渡辺美佐と一緒にスタジオに来ていた中尾ミエに手伝ってもらったとのこと! そのつもりで聴き直してみると、エンディングでジュリーに絡んで来る高音ヴォーカルは女性で、特に語尾部分では確かに中尾ミエの声のように思えます。 転調してキーが上がっており、ジュリーだけだと、か細く聴こえてしまったかもしれないので、これは見事なヒラメキによる適確な補強だったと言えるでしょう。 しかし、ロンドンでの録音のはずなのに…と、前述の『ヤング』誌に掲載されている中尾ミエのスケジュールをチェックしてみたところ、5月20日から31日までは「ヨーロッパ」となっているので、その通りだったとすれば、実際 5月末にロンドンのスタジオでタイガースと中尾ミエは一緒にレコーディング出来た訳ですね。 驚きました。 オリコン・チャートでの記録は最高 3位。 ランクイン中の売り上げ枚数は284,000枚。 (もともとは英国始め、欧米だけでの発売用の曲だったようだが、この20日前に発売されたシングル「嘆き」がチャートで 8位にランクされたとはいえ、明らかに売上枚数は伸びなかったため、急きょ「スマイル・フォー・ミー」が続けて日本でも発売された。 もちろん、タイガース主演映画第3作 『ハーイ!ロンドン』でも使われている(ただし、この曲の録音風景というわけではない)。 BOND (当時のジャケットでは上記のようにクレジットされていたが、最近の再発CDでは次のようになっている RONALD F. 詳細は上記参照。 当時英国で発売された盤ではこちらがA面。 なお、このシングル・レコードのジャケットに掲載された歌詩は収録音源とは異なり、サビから始まっていないし、終盤には唄われていない展開部分もある。 しかし、その掲載歌詩の通りで、アレンジが異なり、最初のヴァースがシローのリード・ヴォーカルで始まるヴァージョンが、当時のTV番組「シャボン玉ホリデー」(日付は不明)で唄われたことがあり、またレコード(『フィナーレ』)には未収録だが1971年1月24日の解散コンサートでもこのアレンジで演奏されたようだ。 とすれば、元々はそのアレンジだったのだが、海外でのA面曲としてはいささかインパクト不足とのことで、サビから始まるアレンジに変えられたとも考えられる。 それとも逆に海外盤には、そちらのヴァージョンが収録されていたのだろうか?=このTV演奏ヴァージョンに関しては福岡の川上さんよりお寄せいただいた情報によるものです。 ありがとうございました) [その後の情報 1] 上記の件に関して、別のファンの方より下記の情報が寄せられました。 TV番組で「淋しい雨」のシローのリード・ヴォーカルで始まるヴァージョンが終わった後、司会者とジュリーとの間で「今日はいつもと変わっていましたね?」、「そうなんです、タローがちょっと」、「タローさん、どうもごくろうさまでした。 でも、こういう感じでも、ものすごくいいと思うね」、「たまにはいいでしょ」のやりとりがあります(テープで確認済)。 70年5月3日のヤングメイツではサビから始まるアレンジで演奏されてますが、9月の梅田コマ、11月1日のヤングメイツではシローのリードで始まるヴァージョンの演奏ですので(これもテープで確認済)、この流れで、解散コンサートではシロー・ヴァージョンの演奏となったのかもしれません。 また海外ヴァージョンは日本発売盤と同じ音源です。 私は所有してませんが、元所有者に確認しました。 (ありがとうございました。 プライベート音源の正規CD化だが、一般的に聴けることになったので、興味ある方はぜひどうぞ。 また、このアレンジに関しては、大野晶司さんより以下の情報が寄せられました。 (前記[その後の情報 1]で)「タローが…」というのは、彼はデモのヴァージョンを気に入っていて、シローが先にというアイデアを出したのです。 アップ・テンポにアレンジすると唄われてない部分は要らなくなった為カットされた、と何かの本で読みました。 (ありがとうございました。 当初はこちらのアレンジだったのが、結果的にシングルでの派手なアレンジに変えられたということで、この経緯だと、歌詩カードに印刷されていた歌詩の件も納得出来ます) リード・ヴォーカルは沢田研二 この曲はタイガースの解散コンサートでは「スマイル・フォー・ミー」に続いて(上記のTV演奏ヴァージョンと同じはずのアレンジで)唄われたが、その時のライヴ・アルバム『フィナーレ』には未収録。 また、再結成タイガースの『1982 LIVE』『A-LIVE』では、メドレーの一部として唄われた(この歌詩カードでもシングル・レコードと同じく上記TVヴァージョンのように掲載されていたが、実際の演奏はシングルと同じアレンジだった)。 「スマイル・フォー・ミー」と同じく、映画『ハーイ!ロンドン』でも、このレコード・テイクが使われている(ただし、こちらも録音風景ではなく、日本での演奏シーン)。 各ページ内で触れる場合もありますが、触れきれない部分はこちらのコラム欄で取り上げます。 当方が未見の記事や関係者の証言等で、(当方にとって)納得できる結論が導き出されるまで、 疑問のまま問題提起しておきたいと思います。 (一応、当方が考える仮説も提出しておきますが、もちろん解決したら、それを掲載します) このページは新しいウィンドウで開いているはずですので、他のページに移る時には(基本的に)このウィンドウを閉じてください.

次の

”スマイル・フォー・ミー” by 河合奈保子

スマイル・フォー・ミー

1969年5月27日、ザ・タイガースは主演映画3作目『ハーイ!ロンドン』 東宝 のロンドン・ロケに出発。 6月8日まで現地に滞在するが、この間に映画撮影以外にも重要なミッションをひとつこなしている。 ビー・ジーズからプレゼントされた新曲「スマイル・フォー・ミー」のレコーディングである。 元々、同じポリドール・レーベル所属という関係からか、タイガースはビー・ジーズの作品を好んでステージ・レパートリーに取り上げて来た。 大ヒット曲「マサチューセッツ」のB面曲でしかなかった「ホリディ」が日本だけで異様に人気が高いのも、トッポこと加橋かつみの持ち歌としてタイガース・ファンの間で親しまれていたことが最大の要因だろう。 68年2月19日には雑誌『ヤングミュージック』の企画で国際電話を通じて両者の対談が実現。 同誌4月号 写真左 に掲載されている。 この対談の中では、ロビン・ギブが「日本へ行ったら、ぜひステージで共演しよう」と半分リップ・サービスみたいなコメントを述べているだけだが、おそらくこの対談をきっかけにポリドールと渡辺プロダクションは両者のコラボレーション企画を画策し始めたのではないだろうか? その後、どんな経緯があってバリー・ギブ 作曲 とモーリス・ギブ 作詞 による書き下ろし曲をタイガースがレコーディングするというプロジェクトに発展したのかは不明だが、とにかく今から46年前の今日1969年5月29日、ロンドンのポリドール・スタジオで「スマイル・フォー・ミー」と「淋しい雨 Rain Falls On The Lonely 」の2曲がレコーディングされた すでに出来上がっているバッキング・トラックにヴォーカルとコーラスを入れるだけだが。 ちなみに「淋しい雨」はビー・ジーズとは無関係の作品で、英国の音楽出版社の管理楽曲。 公式レコーディングされたのはこれが初めてである。 このレコーディング・セッション中にちょっとしたハプニングが生じた。 曲の後半に半音上がる転調を施したアレンジが裏目に出たのだが、すでに完成しているオケを録り直すわけにもいかず、タイガースとスタッフたちは思案に暮れてしまう。 そこで救世主となったのが、たまたま渡辺美佐副社長 当時 と共にヨーロッパ旅行の途中ロンドンに立ち寄り、スタジオに見学に来ていた中尾ミエだった。 スタッフのアイディアで最後のリフレイン部分だけ彼女が歌ったのである。 レコードでこの部分を注意深くチェックしてみると、たしかにジュリーの声に混じって中尾ミエと思われる声が聴こえてくる。 こうして無事完成した「スマイル・フォー・ミー」は、タイガース通算10作目のシングル 写真左 として1969年7月25日にリリース。 タイガース初の海外録音でビー・ジーズからのプレゼント曲という話題性も手伝って、オリコン3位まで上るヒットになった。 英国盤 写真右 もリリースされたが、残念ながらヒットには至っていない。 この「ジュリー替え玉事件」のエピソードを知人の音楽プロデューサーに話したところ、面白い仮説を立ててくれた。 彼曰く「バリー・ギブは元々トッポのキーに合わせて作曲したのではないか?」。 日本のスタッフがビー・ジーズに作曲を発注したのはトッポ在籍時代だったのではないかというのである。 なるほど、タイガースとビー・ジーズが電話対談したのはトッポ在籍時代で、もし、それを機に両者のコラボ企画が生まれたとするならば、タイガースにおける「ビー・ジーズ担当」であり、「花の首飾り」 68年3月 のヒットでジュリーの対抗馬として実績を上げていたトッポに歌わせると考えるのも、至極自然な流れだろう。 キーが高かったのも納得がいく 一度トッポが歌う「スマイル・フォー・ミー」を聴いてみたいものだ。 ドラマ『ガリレオ』の湯川教授ではないが「実に興味深い!」。 果たして真相やいかに!.

次の