僕だけがいない街 映画 ひどい。 ジョーズ3 ネタバレ感想~色々とひどいが、サメにもぐもぐされるシーンは嫌いじゃないぜ!

映画 僕だけがいない街 感想:アニメ版を見た人の方がビックリ仰天できる実写版

僕だけがいない街 映画 ひどい

TVアニメ版で完全に ネタバレした状態で映画版を見に行ったのですが、はっきり言ってびっくりしました。 というか、むしろ アニメ版を見た人の方がびっくりできる作品じゃないでしょうか。 衝撃のラストシーンはみんなで突っ込みたくなること請け合い。 これを楽しむためにもぜひ TVアニメ版から先に見ることをお勧めしたいですね。 アニメ版のファンから見た感想 TVアニメ版は本当に素晴らしかったですよね。 もちろん原作漫画の評価が素晴らしいので当然といえば当然なのですが、何といってもアニメ版では 雛月加代が出色もの。 独特の絵柄と 悠木碧さんの演技に痺れました。 正直 リアルな子役を使った実写映画版では この魅力を出すのは不可能。 この辺は割り切ってみるしかないですね。 別物としてみれば 子役2人の演技は非常にうまくて、うますぎて鼻につく ギリギリのラインで止めてる感じと、子供の 自然な表情をうまく生かしている所が立派。 藤原竜也の存在感 アニメ版では主人公の 藤沼 悟(小学生時代)の声を演じる女優の 土屋太鳳さんの演技が予想以上にハマっていて個人的には かなりの高評価だったんですよね。 アニメでは小学生時代のイメージが強く残る印象でしたが、実写映画版では 藤原竜也の存在感がかなり強い作品になっている気がします。 彼の色がついちゃうとはいえ 大失敗もないので安心して見られます。 子役の 中川 翼くんの演技も相当立派だったのですが、印象は藤原竜也の方が強くなってしまいますね。 あと小学生時代と大人時代の リンク感っていうのは アニメ版の方が演出的にも演技的にも強く感じたかな。 心の声をうっかり口にしてしまうという演出も実写版ではほとんどなかったですしね。 でも演技自体は違和感を感じず良かったです。 他のキャストも見所あり 最初に見て 違和感を感じたのは藤沼 悟のお母さん役の 石田ゆり子さん。 相変わらず若い顔立ちでびっくりするのですが、アニメ版を見たものからすると『 ちょっとイメージと違いすぎ!』って思うんですよね。 でも実は 小学生時代に入るとこれがびっくり。 石田ゆり子の 若いお母さん役がハマってる!本当に若いお母さんにしか見えない所が凄いですね。 この一点で 石田ゆり子をキャスティングした意味が理解できました。 こういう役柄の 定番中の定番って感じで出た瞬間に笑ってしまいました。 最近は いい人の役も多いですけどね。 ホント 安定の演技でちょっとベタですけど当然ハマってました。 本作で話題なのはバイト仲間の片桐愛梨を演じる 有村架純さん。 これまた雛月と同じでちょっと 美形すぎるんだけど、健康的で楽天家なイメージで アニメ版との違和感は少なくて良かったです。 何といっても さすがの可愛さで引っ張っていってくれますね。 初見の人よりアニメ視聴者の方が驚く展開 今回はアニメ版を鑑賞した状態で見に行きました(原作コミックは未読)すでに ネタバレしていますので 話の筋を楽しむというより 演技を楽しむ気分で見に行ったんですよね。 子役の演技も評判が良かったですしね。 実際途中までは アニメ版をきれいにまとめた構成だったんですよね。 あまり端折った感じもしなくて上手にまとめてありました。 ただ、今思えば、これって完全に アニメ視聴者を引っ掛けにきてるのかもなぁ・・・って邪推したくなりますね(笑) それまでアニメ版を 綺麗にトレースした展開だったのに、クライマックス間際に『 あれ、なんかおかしいぞ・・・?』って違和感を感じるや否や、 急ハンドルを切るかのように方向転換。 それからは 暗闇を進むように、右かと思えば左に、左かと思えば右に曲がるような想定外の進行。 そして 衝撃のフィニッシュ・・・・。 アニメ視聴者なら誰もが半笑いで『 マジかよ・・・』とつぶやきたくなるラスト。 それまでの 子役の好演も忘れてしまう衝撃でした。 ぜひ、 地上波で放映する際にはアニメ視聴済みの友人やツイッターなどのSNSと一緒に 突っ込みながら見たい作品ですね。 はっきり言って初見の人よりアニメ視聴者の方が 何倍もビックリできます。 初見の人はアニメ版を先に見る方をお勧めしたいですね。 映画 『僕だけがいない街』公式サイト 原作コミック作者:三部けい 監督:平川雄一朗/脚本:後藤法子 スポンサーリンク•

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漫画「僕だけがいない街」のネタバレ(あらすじ)!犯人の末路と悟の運命は?こんな結末に…

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先日、僕だけがいない街の映画を観てきました。 アニメはそのあと最終回まで見ました。 ここからネタバレがっつり含むのでこれから見る予定の方は見ないでくださいね。 映画では川に突き落と された悟は、そのあと現在に戻ってきて病院にいましたが、あれはバイト中のバイク事故の時に戻ったんですか? つまり、川で突き落とされたあと、先生が犯人と分かっていながら学校には普通にまた通い、毎日自分を殺そうとした犯人と顔を合わせながら過ごして、先生も自分を犯人だと知っている悟をまた殺したりせずに過ごして、その後も殺人を繰り返していた…んですか? その間のことは、急に現在に戻ったから仕方ないんですかね? だとしても、先生が悟は生きていたと知っているのに今まで殺さなかったのも不思議な話ですよね? しかもそのあと先生と二人になることはどう考えても危険なのに、先生と対峙して、普通に殺されて、あまりにひどい最後でした。 私がどこか見落としてるんですかね?悟が目を覚ましたのはバイク事故後ではなく、ずっと植物人間だったなら少しは納得できるんですが、家に帰ったら普通に母親が居ましたし… ですが、見に行った人の感想を聞くとすごくよかったという人が多くて… 映画の方はその矛盾も全て見逃しながら見たほうがいいのでしょうか? アニメも原作も(原作の最終回は読んでいませんが)みてから映画を観ました。 途中まではまあ映画の尺にあわせるならこんな感じかなという展開で、アニメでは少しわかりにくかったリバイバルも丁寧に描かれているなという印象がありました。 だめだめだったのは、中盤以降です。 序盤で丁寧に書きすぎたせいもあるのでしょうが、当時の連続誘拐殺人事件を雛月以外まったく防げず、犯人が誰であるか観客にもわかる状態でありながら不用意な行動をとり、殺されかける。 しかもそこで逆リバイバル?で2006年に戻って未来が変わったことが明らかになりますが、そこにいたるまでが不明。 しかもなんですか、あのラスト。 がんばった結末が悲劇でいいはずがないとか言っておきながら、主人公が死ぬという悲劇にいたる。 終わってから唖然としました。 真犯人の担任の先生は、主人公を橋から落とす直後に「二人とも負けだ」「先生は姿を消す」と言います。 「二人とも負け」とは、真犯人と知られた自分の事と、真犯人を知ったけど、これから橋から落とされて死んじゃう主人公を指します。 真犯人は主人公を橋から川に落としたから、いづれ主人公の死と自身の行動に接点があることを世間 警察関係 の知るところとなり、逮捕は間近いと逃走したのでしょう。 しかし橋から落ちた主人公は奇跡的に助かったかで、小学生時代の真犯人の記憶は成長した主人公にしかないために、川に落ちる直後でリバイバル現象で現在の自分に戻ったので、担任が真犯人だとの記憶も小学生時代の自分からは消え、奇跡的に助かった小学生として以後を暮らすってことかと。 真犯人は主人公が助かったとは報道なりで知っただろうけど、一向に主人公が自分の犯行を告発しないので不思議に思うが、川に落ちた際に記憶障害に陥り、自分が真犯人と知った下りから橋から突き落とした一件までの記憶がなくしたと判断したのかもしれません。 そして主人公は以後も学生生活を続け、真犯人の担任は新天地で町の有力者の娘婿に入り名前を変え、以後も犯罪を重ねながら表向きは代議士として人望を得ていったって事かもしれません。 事故で入院していた件の詳細は不明ですが、過去を変えたら現在も変わるので、消えたピザ屋のバイトの時の事故とは別件の何か 映画では割愛された 事故で入院していたのかと。 つまり「入院するほどの事故」だけは、小学生時代の事件の事を変えても影響が及ばず、別のカタチで事故り、入院する運命だったって意味かなぁ~と思いました。

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『僕だけがいない街』漫画の最終回ネタバレひどい!期待の上行く最終回!

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自分は原作マンガを第7巻まで、アニメは最終話(12話)までを観ました(原作マンガのは4月26日発売です)。 そのうえで今回の映画を観た感想は……端的に言えば 映画ならではの演出は素晴らしい!だけど、終盤の展開にはガッカリだよ!ということです。 原作とアニメでは、主人公のナレーションがとても多くなっています。 (これは「小学生の主人公が大人の思考をしている」「よりストーリーがわかりやすくなる」ということで決して悪いところではありません) ところが、 映画では主人公のナレーションが必要最低限にまで減少しています。 ナレーションは2、3箇所のみで、過度に「語り過ぎない」ようになっていたのです。 これは英断でしょう。 実写映画では役者の演技や、細やかな演出で「語らなくてもわかる」という要素があるのですから、ナレーションで説明するのは野暮になってしまうところもあります。 映画版『僕だけがいない街』は、 文字量の多い原作の内容をうまく汲み取って、「語り過ぎない」ように調整しているのです。 そして、誰しもが思うであろう 子役の演技の素晴らしさ。 もも大人顔負けの名演技をみせているので、ここだけでも映画版を観る価値があるはずです。 さらには、 原作には存在しなかった細かい描写も増えています。 ほんのちょっぴりの追加ではありますが、より登場人物の気持ちが伝わるようになっていました。 監督の『』や『』などのフィルモグラフィには1ミリたりとも惹かれない(好きな方ごめんなさい)のですが、今回に限っては本当によい演出をされたのではないでしょうか。 あ、あと クズじゃない藤原竜也が観られるのも貴重ですね。 最近の彼はクズ役が定着しすぎていたもんなあ……。 (46歳)が「若づくりすぎてお姉さんにしか見えない母親」を演じているのもいいですね。 終盤にはガッカリだよ! そんなわけで、原作ファンとしては序盤~中盤は大いに感動していたのですが…… 終盤はどうしてこうなった。 原作はあらゆるところに矛盾が生じないよう、緻密に計算された作品だったはずです。 (原作では主人公の年齢に誤りがありましたが、後の版では修正されるなど、矛盾点がないように徹底されています) 世にあるタイムリープもののSFも、荒唐無稽にみえても、どこかに破綻が生じないように精密に作られているものです。 でも、この映画の終盤の展開は「あそこがおかしい」「こことここがつながらない」といくつでも文句が出てきてしまいます。 こんなことなら、原作から変えなくていいのに……。 映画オリジナルのセリフもひどく陳腐なものもあったしなあ……。 そんなわけで、原作を読んでいないSF(タイムリープもの)ファンにとっては雑な作品に思えてしまうでしょうし、原作ファンにとっては変更点を大いに不満に感じてしまうでしょう。 それでも、「原作やアニメのほうがおもしろいから、こんな映画は観なくていい!」とはなりません。 なぜなら、前述したように実写映画ならではの「語り過ぎない」演出、追加された細やかな描写、子役の演技という魅力が確かにあるからです。 女の子が見せた涙には、こっちまでもらい泣きしそうになってしまいました。 なお、『僕だけがいない街』で扱っているのは児童連続誘拐殺人事件です(日本中を震撼させたの事件を反映しているところもあるのでしょう)。 単なる娯楽に留まらず、「児童を救うにはどうすればよいか」という気づきも与えてくれることは、本作の大きな意義と言えます。 『僕だけがいない街』は、原作、アニメ、映画版、それぞれに違った魅力のある作品です。 「どこが違うのか」を人に聞くのもいいですが、ぜひご自身で「違い」を確認してほしいです。 はっと気づけることが、きっとあるはずです。 原作とアニメに触れていない方のために、詳細な違いは書いていませんが、人によってはネタバレと言えるかもしれないのでご注意を。 解説 ネタバレ を表示する 解説 ネタバレ を閉じる <まずは不満点についてたっぷり語るよ!> 野暮な不満点(どう考えても矛盾していること) 小学生の悟が真犯人をつきとめたために池に落とされた後、 大人の悟が「バイクの交通事故にあった後に目覚めた」のは悪い意味で驚きました。 このせいで生じる矛盾点は以下のふたつです。 ・「真冬の池に落とされた悟」という事実はどこに行った? ・バイクの事故を起こしたということは、悟はこの時空でもピザ屋のバイトをしているはず。 その後に同じバイトで働いているはずのアイリと「初対面」となるのはおかしいのでは? 原作で描かれていた「真犯人の悟への執着」なんて完全に消滅しているしなあ……。 あと、これだと青年・白鳥潤(ユウキさん)の冤罪も晴れていないのではないのでしょうか。 原作(またはアニメ)を読んでいない方のために詳細を書くのはやめておきますが、原作でのこの一連のシーンは、作品の大きな方向展開であるとともに、終盤に向かっての「ステップ」となる重要な要素であるうえ、タイムリープものとして矛盾のないものでした。 上映時間の短縮という意図もあったのでしょうが、これだけはどうあっても「改悪」としか思えなかったのです。 そういえば、アイリが「(悟の描いている)マンガに勇気をもらっている」と話すのも映画オリジナルですね。 しかし、これも「アイリは悟がマンガ家であること知らなかった」ということと矛盾しています(マンガ本にはペンネームではなく、思い切り藤沼悟という名前が書かれていた)。 この辺でツメの甘さを感じてしまうのはいかがなものかなあ……。 なくてちょっぴり残念だったこと 原作の悟は「声に出てた・・・」と、思ったことをそのまま口にしてしまう癖があるのですが、映画ではいっさいありませんでしたね。 これは実写映画で描くと変な表現になりそうなので削ったのは英断だと思うものの、悟の人のよい性格をうまく示していますし、アイリ(加代も)が言っていた 「言葉ってさ、口に出して言っているうちに、本当になっていく気がする」とシンクロしている要素でもあるので、やはりないと寂しいですね。 原作から削除されたシーンはいろいろとありますが、中でも「加代が給食費の泥棒にされてしまう」エピソードはほしかったですね。 悟と加代の関係性が大きく前進する出来事だったので。 また、悟と加代の誕生日は、原作では「加代が殺されないことが確定するXデーだ(その日を乗り越えれば加代は殺されない)」と説明されているのですが、映画の悟は「これで虐待もされず、大丈夫だろう」という根拠のないことを言っていました。 ここは原作と変える意図がわからないなあ……。 あと、「悟からのメール」は原作では火事現場にいるアイリに送っていたのだけど、なぜか映画では悟本人に送られていました。 本人に送ってどないすんねん!偽装にならないだろ! 時間の制約上しかたがありませんが、八代先生の過去や、芥川龍之介の『』の引用などの要素もカットされました。 知りたい方は原作を読みましょう。 なお、映画の悟は流転の末、「妊婦になった加代」と再会することができましたが……原作の感動には遠く及びません。 なぜかと言うと……いや、これは言えないや。 原作を読んでください。 原作ファンにとっては「誰の子やねん」とツッコミたくなるしなあ。 いや、原作読んでいなくても思うか。 ぶん投げられた伏線 かなーり許せないのは、「原作にあった伏線を取り入れたけど、けっきょくぶん投げている」という要素があったこと。 「上野から電車1本でいけるんだ」という悟のセリフは、原作ではやがて「母親が実感する」シーンにつながっていくのですが、 映画では母親が困惑しただけで終わってんじゃねーか。 まあ、映画だけでも「母親に言えなかった取るに足りないこと(でも言いたかったこと)」を示しているのでいいのですが……。 また、冤罪を被った青年・白鳥潤(ユウキさん)のフォローもぜんぜんありませんね。 映画ではただの怪しい人、だけで終わってないか? 原作では彼の「その後」も語られているので、読んでみてほしいです。 後味の悪いところ そもそも、悟は加代を救うことができたものの、 けっきょく真犯人の八代先生はほかの小学生女児を殺害しまくっていました。 原作では、悟の親友のケンヤと、ジャーナリストの澤田さんが女児殺害事件の犯人を追い続けていました。 そこから「決着をつけるために戦う」シーンがあるから救いになっているのですが……映画では最後に(身近な大切な人を救えたものの)「ほかの関係ない女児がけっきょく殺されてしまった」という帰着になっているので、酷く後味が悪いのです。 信用したい? もうひとつ展開としておかしいと思えるところは、小学生の悟が 明らかに疑っている八代先生のクルマにホイホイと乗ってしまうことです。 ちがうよ!原作の悟はクルマに乗るまで八代先生を微塵も疑っていなかったんだよ(だからでこそ乗った)。 しかも悟が八代先生を疑ったきっかけは「八代先生は児童相談所に前にも虐待の事実を話していたと言っていたが、じつは相談したのは今回は初めてだった」というものだった。 なんじゃそりゃ!そんなウソはすぐバレるだろ! ただし、「悟が、疑っている人物にホイホイついていってしまう」ということには一応の理由があるとも考えられます。 なぜなら、アイリは自分の父親が万引きをしたと疑われた過去を引き合いに 「信じたいと願う気持ち」を訴えていたから。 ともすれば、悟が八代先生のクルマに乗ってしまったのは、「信じたい」という希望に賭けたから(疑いたくなかった)ともとれます。 疑うかどうかよりも、悟は目の前でさらわれた(と勘違いした)女の子をなんとしてでも助けるため、致し方なくクルマを運転できる八代を頼った、ともとれますしね。 がっかりなセリフ まあいろいろと不満点を語りましたが、これらは以下の悟の素っ頓狂なセリフに比べたらだいぶマシです。 そんなもんは教育委員会に言えよ! 目の前にいるのは(先生がどうこうではなく)大切な人を殺そうとしたどころか女児を殺しまくっているど畜生だろうがよ! これは、悟が「正義の味方」を目指していることを、さらにクローズアップしてしまった結果なんだろうな……。 <メタメタに言いまくったので、ここから褒めます> ナレーションで語らなかった、秀逸なシーン 加代は、「演じてでも好かれるようになりたい」と口にした悟に、「私も、演じていくうちに本当になっていくと思う」と返していました。 原作では、ここで悟がナレーションで加代の気持ちを代弁しています(映画ではありませんでした)。 だけど、映画だけでも、加代が虐待で傷だらけになっても「(傷は)転んだの」とウソをついている(演技をしている)ことがわかります。 加代は辛い虐待から逃れるため、本当に「傷は転んでできたもの」と思いこもうとしていたのかもしれません。 もうひとつあってよかったのは、加代が自分の家から離れて3日目、藤沼家で朝食を食べたときに、加代が思わず涙してしまうシーンでした。 ナレーションなどなくても、加代がこれまで暖かい朝食など食べてこれなかったこと、その食事がどれだけうれしいものであったかが、わかります。 描かなくてよかったこと 原作では、加代を虐待していた母親の過去が描かれており、「少し同情してしまう」余地がありました。 (決して悪い描写ではありません) 映画でこの要素を描かず、母親が完全な悪人になっているのは、むしろよかったのではないかと思います。 最低な両親を論理的に打ち負かすというカタルシスもありましたしね。 映画で追加された細かい演出 悟は、バスの中にいた加代に「(児童相談所の人が来ると)母さんと離れ離れになってしまうかもしれないけど、それでもいい?」と聞いたとき、加代は「それってすごくうれしいことだよ」と答えていました。 このときの悟は、困ったような、それでいて寂しそうな顔をしていました(この悟の表情は原作では描かれていませんでした)。 この表情をしたのは、悟が母親に大切にされ、また悟も母親を大切に思っており、しかも母親が殺されてしまうという「未来」を経験したためでしょう。 悟にとって、「母親がいないほうがうれしい」という加代の言葉は、どれほど辛いものだったのでしょうか。 そのほか、悟と加代がいっしょにケーキのロウソクを吹き消すシーンも映画オリジナルですね。 ふたりが「運命共同体」のように見えて、とても好きなシーンです。 僕だけがいない街 映画において、タイトルの「僕だけがいない街」は、「自分は死んだ(いなくなった)けど、大切な人たちが生きている街」という解釈がなされていました。 じつは、 「僕だけがいない街」というタイトルの解釈は、原作マンガ、アニメ、映画でそれぞれまったく異なっているのです。 しかも、 クライマックスの展開もそれぞれ違います。 それぞれどう違うかは、ぜひ読んで(観て)確認してください。 個人的な好みで言うと、タイトルの解釈はアニメ、原作、映画の順で好きだったりします。 余談ですが、名シーンのひとつである「2月のクリスマスツリー」の演出も、アニメがいちばん好きですね。 アニメ版の加代のセリフ「バカなの?」はかなり感動できます。 正義の味方 悟は、自身のマンガの中で、ヒーローにこう語らせていました。 「戦うのは辛くて怖い。 誰かがなんとかしてくれるのを待つほうがよっぽど楽だ。 だけど、待っていたら繰り返し繰り返し、後悔するばかりだ。 だから僕は戦う、生きるために。 だから僕は仮面をつけている、いつか本当の勇気が持てるように」 これは、ただただ大切な人を救おうと、時空を駆け抜けた男の物語でした。 彼は「見て見ぬ振り」なんか、したくなかった。 その後悔こそが、リバイバルという能力を生み出したのでしょう。 評判のよい小説版。 ヒナタカさんは宮崎事件を連想したけど僕は『僕だけがいない街』って明らかにスティーブン・キングの小説『IT』そのままです。 少年たちがキラークラウンという怪物と大人になって戦うってプロットは『ジョジョの奇妙な冒険』の4部や『20世紀少年』とさんざんやられてるのであんまり新しい感じはしなかったな。 この実写映画版の構造上悟って原作やアニメにあるお父さんみたいな人にメロメロって要素入れてないから(母子家庭だからね)悟対八代の対決軸が成り立たない。 後、これ原作の問題になるけど八代ってそんなに魅力的な悪役に見えないんだよね。 正直八代ってダース・ベイダーというよりカイロ・レンでしょ(笑) 本来は『スター・ウォーズ』のダース・ベイダーや『ファイト・クラブ』のタイラー・ダーデンみたいにメンターで乗り越えるべき敵という軸にしなきゃいけないのに八代って正直厨二病的悪役で読んでて辛い(笑) 正直芥川龍之介の『蜘蛛の糸』しか読んでないのがミエミエでそこらにいる殺人鬼にしか見えない(笑) 何か八代を弁護するスピン・オフする漫画が連載予定だけど八代ってそんなに人気あるの? 及川光博が八代役って聞いた時にあの悪役をミッチーならもっと深い役になると思ってたらやっぱりただの厨二病キャラでミッチーなのに掘り下げようによっては『コードギアス』のルルーシュみたいなカリスマに化けると思ったのになぁ… 後、原作漫画の問題でいくらなんでも警察無能過ぎるだろ! 原作漫画ではクズの兄貴や嫁さん自殺に見せかけて殺してるんだから普通は第一容疑者の候補に挙がってもいいだろ! そのうえ原作進むに連れ設定がおかしくて八代って代議士になるけど普通は代議士になる奴は身辺調査とかされて過去の殺人も露見するだろ!とかもう無理があり過ぎる。 そもそも北海道内で『ナチュラル・ボーン・キラーズ』のミッキー&マロニー並みに殺してるから漫画もアニメも実写映画も変にリアリズムで作ってあるから警察の存在がどうなってるの?って問題がありますね。 後、終盤実写映画版はただの火曜ワイドサスペンス劇場になるんですが漫画もアニメも終盤酷くてアニメは病院って自殺防止用の柵あるしあんなデカいマット普通は幼稚園児でも気づくだろ!ってバカって思いながら見てました。 漫画も酷くて終盤とんち番長のとんち対決みたいな展開になって「さっさと警察呼べバカ!」と思いながら読んでました。 なお実写版映画『僕だけがいない街』の最大の笑いどころはエンド・クレジットです。 後、これは連載モノの構造上の問題になるけど当初は愛梨がヒロインだったけど途中から雛月がヒロインになるんだよね。 雛月ってフィルム・ノワールモノで言うならファム・ファタールになっちゃってるのにも関わらず終盤では物語の整合上ただのモブって酷くねぇ? 後、原作もアニメも悟が漫画家として成功して愛梨と再会して終わるけどここまでご都合主義が酷いとなんなんの?と言う疑問も… これも原作問題でモノローグや台詞の多様で読んでてキツいんだ(笑) そこは実写映画では極力無くしてるのは偉いと思います。 原作って一番面白いのは過去編の小学生同士のキャキャ感があってサスペンス部分はあんまりトリック使ってないんですね。 後,アニメや実写映画になく原作漫画の良い所って29歳のボンクラ青年が小学生になって間抜けギャグ飛ばすというのが面白い要素で時折原作漫画って過去編はユーモアやギャグ入れてるんですね。 悟に最後までやれと言ったり、最後までやったらこうなったという発言に疑問を抱かなかったり、さらに悟と加代に付いてきたり。 もし母もリバイバルしていると解釈すると、「本当は上野まで電車1本で行けるんだ」という台詞の意味が違ってきます。 あと、地元の人間として不自然に感じてしまうのは、船橋に住んでいる主人公たちが印西のビッグホップに出掛けていること。 別に出掛けたって、そんなのは個人の勝手なのですが、彼らがクルマを持っていない以上、電車やバス、タクシー等で来ることになります。 船橋の人間にとって印西って思いのほか行くのが面倒な場所なんです。 しかもビッグホップって大したショッピングモールでも無く、船橋には西武もららぽーともイケヤもあるので、船橋の人がわざわざ来るような施設でも無いんです。 印西にはビッグホップや牧の原モア、イオンモール千葉ニュータウンなど、絵的に映える商業施設が多く、よく撮影には使われるのですが、「上野に電車1本」という台詞があるので交通の便を考えると地元民ならではの違和感を抱いてしまいました。 といっても原作未読でアニメ版だけですが。 原作未読ゆえアニメ版との比較になりますが、原作者が特に注文も付けませんでしたし個人的にもいうほどナシとは言わないもののやはり「終盤はどうしてああなった」という感じでアニメ版の方がよかったなと思います(原作者は大人の対応の可能性はあるにせよのれたと述べてるので好き嫌いによるところはあるかもしれませんが)。 あとアニメ版は結構好きですがダーク・ディグラーさんのコメントに関して「そこのところはあまり気にしてなかったけど確かにそうかもしれない」と思いました。 それでも喩えご都合主義だろうと個人的にはアニメ版のあのラストは好きですけどね。 失念してました。 あとアニメ版では母親がコンビニでバイトしつつ15年間(となると2006年じゃなくて2003年? )息子の看病をし目覚めたときに落涙してたと記憶してるのですがそれがなかったので「えっ!? 」ってなりました。 正直、変にいじらない方がよかったかと。 「そこ重要だと思ってたのに省くのかよ!? 」「ハムスターのくだりも重要なんじゃ…」と思いました。 それと自分の勘違いかも知れませんがアニメ版において真犯人は悟がこん睡状態の間犯行をやっておらずそこからも悟への執着を感じてたので「えー? 十数年の間にもやってたんかい。 っていうかそれじゃダメだろ」となりました。 そこも正直省かないでほしかったものです。 なぜかと言うと……いや、これは言えないや。 原作を読んでください。 ただその後「先生は犯人じゃないよね!? 」という旨を何度も述べてたので「結局信じたかったから」が正解なのかもしれません。 そうでなかったらそれこそ「バカなの? 」と言いたくなりますが。 まあ「信じたかったのに裏切られた悲哀」ってことなのかもしれませんが。 加代は辛い虐待から逃れるため、本当に「傷は転んでできたもの」と思いこもうとしていたのかもしれません。 因みに自分も実写版よりアニメ版の解釈の方が好きですし「そっちにしてほしかった」と思うところはありますがそれでも「死していなくなってもなお大切な人は生きている」という解釈もまた好きなのでこれはこれでよかったなと思います。 少なくとも没後10年経ってもなお献花してくれる人たちがいるってある意味幸せ者ですよ。 アニメ版も普通に大体がそうだったので違和感が仕事してなかったです。 余談ですがシオンソルトさんが仰るのとは別の意味での違和感として河川敷で悟が警察に確保された時の警察車両が2006年時点では製造されてない車種だったのが地味に気になってました。 まあ気にするだけ野暮かもしれませんがその意味でも詰めが甘く感じてしまいました。 結構同じように思っていた部分も多くて、面白いレビューでした。 ただ、下記1ヵ所だけ気になりました。 本人に送ってどないすんねん!偽装にならないだろ! 悟からのメールが悟に送られることになったのは、愛梨が「携帯、なんかあったら使って」と言って、自分の携帯電話を悟に貸していたからです。 犯人はそのことを知らずにメッセージを愛梨の携帯に送信したため、悟が観ることになったわけです。 要は映画では、偽装しようとして失敗したわけですね。 ————————- あと、他の人のコメントにコメントするのもどうかとは思いつつ、ちょっと気になったので。 「テンポやまとまりが最重要事項」なら、なぜ「絵が下手くそで気になった」りするのか。 それもあなた自身の理屈に従えば、「粗探しをして純粋に楽しめない」人間呼ばわりされても仕方のないことだと思うが。 ふーん。 ふーむ。 原作しか知らないので大変参考になりました。 原作でも不満や矛盾はけっこうあったんだけど、 ・途中で犯人の予想がついてしまう点 最大のガッカリポイント もうちょい意外な人物か犯人の匂いを感じさせない「え?!」て人が犯人であって欲しかった。 不自然に登場回数多すぎてわかっちゃうんよね。 飴以降ホントに必要最小限にしてたらわからなかったかもだから残念。 ・記憶忘れた取り戻す流れがウザい ・アイリってそんな大事な存在でもなかったろ、いつ格上げされてん ・ケンヤが「お前がカヤを救った」って言ってるけど、本当に掬われたとわかってるのは悟一人だけのハズ。 いつカヤが本当は殺されるハズだったとかわかんねん 悟以外はわからないハズ ここら辺なんで担当者も突っ込まなかったかわからんけど考察が甘い。 原作不満はこんな感じ。 全体的には評価 設定など デカいリバイバルは母親を助ける為だった、と二回目読んでそう理解したし。 ただ少年の時に決着でよかったかな。 犯人わかった後に変な展開は違和感。 ただ原作にすら矛盾や不満あったら、もうこの映画は話しにならないねw 内容聞いて「ないわぁ~」思ったし笑 原作にも注文出るので映画になったらツッコミ所多すぎて爆笑しちゃうかも。 藤原竜也の演技力ハンパない 日本人でただ一人だけ認めてるあの凄まじい演技力 から面白いかな~と期待したけど残念ですね。 映画となると原作側とストーリーすりあわせとかしないのかな?制作側のフリーハンドだから余計荒くなっちゃう気がします。 セリフ「先生が~」の部分は見たら笑い転げちゃいそうなレベル 惜しいな。 うまくやったら傑作になっただろうに。 ハリウッドで映画化したら面白いかも。 ストーリーコンセプトやっぱり面白いから見てみたい。 って同じようなのあるか。 メールアドレスは公開されませんのでご安心ください。 このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。。 movieこちらの記事もおすすめです 今までに書いた映画レビューの中から、この記事を読んでいただいたあなたにおすすめの記事をピックアップしています。 ネタバレ前の感想をまずは読んで下さい。 映画を見終わった後、ネタバレを含む解説を読んでいただけると1記事で2度楽しんでいただけるのではないかと思います。 カゲヒナタ映画レビューが少しでもあなたのお役に立てれば幸いです!あなたが良い映画と出会えますように: done スリラー.

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