郷 ひろみ は ジャニーズ。 SMAP解散でテレビ関係者が述懐するジャニー社長が「郷ひろみを取られた夜」

SMAP解散でテレビ関係者が述懐するジャニー社長が「郷ひろみを取られた夜」

郷 ひろみ は ジャニーズ

今でこそ男性アイドルといえばジャニーズになりますが、1970年代のジャニーズはメジャーな芸能事務所ではなく、圧倒的にジャニーズでない男性アイドルの方が主流でした。 ちなみにジャニーズといえば(フォーリーブスの青山孝さんなどを除いて)やはり歌が下手なのが特徴でしたが、ジャニーズでない男性アイドルは、歌が上手く本格的な歌手が多かったですね。 【ジャニーズ事務所出身】(敬称略) 郷ひろみ、フォーリーブス、豊川誕、川崎麻世、井上純一・・・ 【ジャニーズ事務所出身でない男性アイドル】(敬称略) 西城秀樹、野口五郎、沢田研二、布施明、にしきのあきら、野村真樹、森田健作、仲雅美、本郷直樹、フィンガー5、あいざき進也、城みちる、太川陽介、渋谷哲平・・・ ジャニーズ・アイドルの歴史を振り返ると、1970年代のソロ歌手時代が到来しため、フォーリーブスの弟分だった郷ひろみさんをジャニーズのソロの看板アイドルとして登場させました。 そしてジャニーズ事務所とは全く無関係な西城秀樹さん、野口五郎さんと共に「新御三家」と呼ばれて一世を風靡しました。 個々の才能が素晴らしいということは言うまでもありませんが、この事が、アイドルというのは、タイプの異なる者同士を一括りにして売り出す方が、飽きられずに長続きをするという事のヒントになったのかもしれません。 またジャニーズのグループ・メンバーを考える上での参考になったでしょう。 ロック系で力強く感情的で声量のある歌唱の西城秀樹さんや、演歌系で巧みで理性的でしっとりした歌唱の野口五郎さんは、共に実力派歌手を目指していました。 それに対して、ジャニーズ系で人気派歌手の郷ひろみさんは、ジャニーズ事務所の方針から、歌手活動においては歌唱力よりもダンスを優先したり、ドラマ、映画での演技を重視していましたが、この二人に刺激され、ジャニーズ事務所を自ら脱退し、アイドル歌手を脱皮して実力派歌手を目指す決意をしたのではないかと考えます。 しかし郷ひろみさんは、脱退後も(1990年代前半頃までは)、芸能界での活動方針は余り変えず、歌手としてのコンサート活動以外にも、最近のジャニーズ・アイドルみたいに、俳優として映画やドラマにもよく出演し、多方面で活躍されました。 ジャニーズ事務所は、郷ひろみさんが脱退後に低迷しましたが、「新御三家」の路線を受け継いだ、郷ひろみさんの「正統派・アイドル」路線の田原俊彦さん、西城秀樹さんの「硬派・青春スター」路線の近藤真彦さん、野口五郎さんの「哀愁・ギタリスト」路線の野村義男さんの三人による「たのきんトリオ」を、ドラマ『3年B組金八先生』に出演させて、爆発的な人気を獲得しました。 さらにその成功から、「たのきんトリオ」を実際にユニット化した様な、1982年にシブがき隊、1985年に少年隊などを続々登場させました。 特に少年隊の錦織一清さんは田原俊彦さんを思わせ、植草克秀さんは近藤真彦さんを思わせます。 その後、さらに世間に対するインパクトをより強くするという考えで、「多人数」と「ローラースケートによるパフォーマンス」を売りにした光GENJIが1987年に登場し、「バンド」を売りにした男闘呼組が1988年に登場、さらに1990年には「激しい動き」を売りにした忍者が登場し、「少年御三家」と言われました。 そして1990年代以降にSMAP、TOKIO、嵐、V6等のアイドル・グループが続々と生まれました。 振り返ってみると、そもそも「新御三家」が現在のアイドルグループの原型になったのではないでしょうか。

次の

郷ひろみ、赤西仁ら/主なジャニーズ離れたアイドル

郷 ひろみ は ジャニーズ

郷ひろみがジャニーズを退社した理由は? 郷ひろみさんはジャニーズ時代かなり多忙な日々を過ごしていました。 例えば睡眠は3時間、食事は車内移動が当たり前だったといいます。 また過密スケジュールすぎて、収録が練習なしのぶつけ本番だったことも多かったみたいです。 ひろみさんはこの先芸能界で生き残るためには、きちんと歌やダンスの基礎を学んでおきたいという考えでした。 しかしジャニーズ事務所は、「今が旬のアイドル・郷ひろみ」をとにかく全面に売り出したいということで必死。 だから歌やダンスレッスンは正直二の次だったのです。 結局、ジャニーズ事務所の方針と自分の意見が食い違い、ひろみさんは退所したと言われています。 もし自分が10代でトップアイドルになったとしたら、 周りからちやほやされて天狗になってしまい、将来も安泰、安泰と勝手に勘違いしてまず好き勝手し放題するでしょうね笑 しかしひろみさんは人気絶頂でも決して傲慢にならず、冷静に自分が足りない部分を分析し、きちんとた将来のビジョンまで考えていたのですね・・・ 郷ひろみバーニングに移籍した経緯について 実はジャニーズ事務所副社長のメリー喜多川さんと、バーニング社長の周防郁雄さんが今後の郷ひろみさんについて話し合いをしていたという事実があります。 その時に周防さんが郷ひろみさんを引き取りたいとお願いして、メリーさんが承諾したといいます。 正直、ジャニーズ事務所を退所する=いざこざがあって喧嘩別れするようなイメージがどうしても定着してしまいます・・・ だからこのエピソードってすごく意外だな~と思いました。 確かにひろみさんは当時のジャニーズ事務所のやり方に不満はあったのは事実。 しかし結果的に円満退社のようなかんじだし、だから郷ひろみさんは今でもジャニーズとテレビで共演することも多いのでしょうね。 Sponsored Link 郷ひろみのジャニーズ時代について 郷ひろみさんはデビュー後すぐに歌手活動だけではなくドラマ出演もこなしていました。 ジャニーズjrがCDデビューしたらもれなく俳優の仕事もやるというのは、どうやら昔から変わらないスタイルみたいです。 ちなみにひろみさんのデビュー曲「男の子女の子」は、ジャニーズ初のレコード大賞最優秀新人賞だそうです。 昭和のアイドルがすごいのって、グループではなくソロでトップになれることですよね~! 今のアイドルだったらまず考えられないのではないでしょうか。 いや時代が時代だからって突っ込まれたら何も言えなくなっちゃうけど、私は素直に尊敬しています。 郷ひろみ ジャニーズを退社した理由は? バーニングに移籍した経緯も まとめ ・郷ひろみがジャニーズを退社した理由は当時の事務所の方針が合わなかったから ・郷ひろみがバーニングに移籍した時メリー喜多川氏が話し合いに参加していた ・郷ひろみはジャニーズ時代ソロでトップアイドルになった 何気なく調べてみると、郷ひろみさんは現在63歳でした。 そのU-NEXTに新規登録すると・・・何と1か月間それらが無料で見放題になります! どんなラインナップかというと、例えば、下町ロケット、リーガルハイ、ハケンの品格、逃げるは恥だが役に立つなど歴代の高視聴率ドラマ。 トリック、るろうに剣心、カイジ、ヘルタースケルター、アンフェアなど懐かしの映画などあります。 今更だけど再熱しました笑 2 アニメ、漫画、ラノベ、雑誌、書籍のコンテンツも豊富! ドラマや映画以外に、バラエティ番組、アイドルやアーティストのライブ映像、アニメ、また雑誌、漫画、ラノベなど本もすべて見放題です! 私はよく通勤時間とか暇つぶしにアプリで漫画や雑誌を読んでますが、7個アプリを登録して容量がいっぱいで困ってました。 けどU-NEXTでは自分が読みたいもの全て取り扱っているということを知ったので、今ではこのアプリひとつだけしか持ってません!! しかも違法なのでいつ著作権法に引っかかるか分からないしウイルスに汚染されるリスクもあります。 そんな違法サイトにびびりながら観るより、U-NEXTで安心して視聴するほうが絶対いいですよね! とにかくお金をかけず1か月間気になるドラマや映画を視聴したいのなら、U-NEXTに新規登録することをおすすめします。 ちなみにこの太っ腹企画はいつまで続くか分からないので、今すぐ登録するだけ登録しておきましょう!.

次の

ジャニーズ事務所経緯!郷ひろみにたのきんトリオから嵐までどんな事あった?

郷 ひろみ は ジャニーズ

郷ひろみのジャニーズ時代! 1971年に「男の子女の子」でデビューした彼も今年で63歳! ちなみに彼の誕生日は1955年の10月18日です。 デビュー当時はジャニーズ事務所に所属していた彼ですが、当時、 アイドルの「御三家」と呼ばれるうちの一人でした。 この「御三家」とは、 野口五郎(のぐちごろう)先日亡くなった 西城秀樹(さいじょうひでき)、そして郷ひろみでした。 野口五郎 故西城秀樹 郷ひろみは他の二人と違い、ちょっと中性的な感じで「王子様」的な存在でした。 そんなところが当時の若い女性にウケたのでしょう。 今の「嵐」の各メンバーにも負けず劣らずの人気でした。 彼がジャニーズに入ったきっかけは、 1971年の銀座での映画オーディション。 そこでジャニー喜多川にスカウトされます。 そしてそこで、当時、絶世の人気アイドルグループだった 「フォーリーブス」のバックダンサーとしてスタート。 芸名は、ファンからの声援 「レッツゴーひろみ」から借名して「郷ひろみ」になり大阪でファンクラブが発足する。 フォーリーブス 16歳で芸能界入りした 1971年から デビューは1972年)1975年の3月まで、郷ひろみは「ジャニーズ事務所」に所属していました。 郷ひろみのヒット曲のランキング 彼がジャニーズをやめた理由をお話する前に、彼のヒット曲のいくつかを挙げてみたいと思います。 (興味のない方は読み飛ばして下さいね。 ) こちらはカラオケの「JOY SOUND」でよく歌われる彼の曲です。 昭和生まれのあなたはいくつ知っていますか?(笑) 郷ひろみのヒット曲:「2億4千万の瞳」 1984年2月25日にリリースされたこの曲は、彼にとって50枚目のシングル。 国鉄(現在JR のキャンペーンソングにも使われたことがあり、多くの日本人が耳にしたことがあると思います。 「じゃっぱ〜ん〜」というサビの部分が当時とても流行しました。 郷ひろみのヒット曲:「言えないよ」 1994年4月29日にリリースされたこの曲は、彼にとって86枚目のシングル。 第27回日本有線大賞・有線音楽優秀賞 ポップス を受賞した曲です。 郷ひろみのヒット曲:「哀愁のカサブランカ」 1982年7月17日にリリースされたこの曲は、彼にとって43枚目のシングル。 原曲はバーティ・ヒギンズの「Casablanca(カサブランカ)」ですが、この曲は、当時のニッポン放送のはた金次郎の番組の企画から生まれたものです。 『オールナイト・電リク』にて日本語歌詞と適任のアーティストを募集した。 その結果、1,000通を超える応募があり、その中から 当時18歳で作詞家志望の高校生、吉井伸子が最優秀作詞賞に選ばれた。 スタッフによる協議の結果、 アーティストには郷ひろみが選ばれ、ニッポン放送ラジオ・スタジオ銀河にて収録が行われた。 放送直後から大きな反響があり、 CBSソニーは山川啓介による日本語歌詞に変えたものを市販することを決定した。 とてもユニークな経緯ですね。 郷ひろみのヒット曲:「よろしく哀愁」 1974年9月21日にリリースされたこの曲は、彼にとって10枚目のシングル。 まだ「ジャニーズ事務所」に所属していた頃の曲です。 そのためも日本人にとっても耳馴染みのあったこの曲がヒットするのは当然でした。 今回2018年の「NHK紅白歌合戦」では、彼はこの曲を歌います。 きっと盛り上がることでしょうね! なお、6位には、結婚式によく歌われていた(最近は違うと思いますが)「 」があがっています。 またこの他にも数々のヒット曲を残しています。 郷ひろみがジャニーズを移籍した理由は? 歌だけではなくドラマに出演し、睡眠時間も3時間位しかないほどの人気絶頂にあっても彼はこのような不安を抱えていました。 「 歌えない踊れない喋れない、こんなスキルの無い自分のままでいてはいずれ世間から見放される」 18歳になると彼はこのように考えるようになります。 芸能界をめざしていたわけではなかったので、デビュー前に歌のレッスンもダンスのレッスンもロクに受けていなかった彼。 不安になる気持ちも分かりますね。 (このプロ精神こそが、40年以上も芸能界で生き残ってこれた理由だと筆者は思います。 ) しかし事務所側からは、 「 スキルアップを図るのは今のブームが落ち着いてからでもいいでしょう。 」 と言われてしまいます。 ブームが落ち着くということは、人気がなくなったらということでしょうか。 こんな答えでは彼が更に不安になるのもわかりますね。 このことがあり、事務所側と彼の考えにズレが生じてしまい、彼はジャニーズ事務所をやめることを決意しました。 郷ひろみはジャニーズを円満に退社した? 通常、アイドルが所属事務所を辞めて移籍する時には、多くが「問題」になってしまいますね。 時には事務所側から訴えられたり、事務所が圧力をかけて、テレビに出させないようにしたり、そのせいで、結局露出が減り、芸能界から消えていく・・・そんなパターンも少なくありません。 しかし郷ひろみの場合、大きな問題とはならず、 話し合いの結果、契約期間満了の1975年3月末に契約更新をせず、「契約終了」という形でジャニーズを退社しました。 郷ひろみが芸能界を干されなかった理由 とはいえ、「ジャニーズ事務所」として彼の契約終了は本当に問題なかったのでしょうか。 在籍期間中は売れに売れ、事務所にも大きな利益をもたらしたことでしょうが、事務所としてはその前に先行投資として多くのお金をかけているはずです。 それが回収できていたから問題視しなかったのでしょうか? 実は彼は「独立した」のではなく、事務所を「移籍した」のです。 郷ひろみがジャニーズを独立後に移籍したのはバーニング 郷ひろみのジャニーズの先の移籍先の 事務所は「バーニング」でした。 この移籍については話し合いがなされたそうです。 渡辺プロダクションの渡辺晋社長と、田辺エージェンシーの田邊昭知社長が仲介役となって、周防はジャニーズ事務所のメリー喜多川副社長と話し合うことになった。 場所は渡辺の自宅だった。 「(渡辺の妻の)美佐さんに、メリーさんを呼んでもらいました。 そこで『メリーさん、私に(郷ひろみを)やらせてください』と頼んだら『いいわよ』と言ってくれた。 ですから、ぼくはジャニーズ事務所とは全く揉めていないんです」 円満にジャニーズを退社、移籍できたのは、ジャニーズのメリー喜多川とバーニングの周防社長の話し合いのおかげだということですね。 そして特にこの移籍劇に貢献したのは、渡辺晋社長ということになります。 移籍後の「バーニング」で彼はシングル 「花のように鳥のように」をリリースします。 レコードプレスは800万枚だったというのですから、移籍しても郷ひろみが売れることは間違いないと見込んでいたことは容易に想像がつきます。 このように円満独立・移籍を果たした郷ひろみですが、結局長年所属していた「バーニング」を2014年に辞め、新しい事務所 「エヴァーグリーン・エンタテイメント」に移籍します。 この新しい事務所は「バーニング」の傘下だったので、問題なかったのでしょうね。 ところで、郷ひろみとGacktがちょっと雰囲気が似てると思うのは私だけでしょうか💦 Gackt.

次の