基本 的 人権。 基本的人権に関するトピックス:朝日新聞デジタル

NO2 基本的人権の確立

基本 的 人権

1.基本的人権の種類 平和主義が終わったので、今日は日本国憲法の3つの基本原理の2つ目、 基本的人権の尊重について勉強します。 日本国憲法には実にたくさんの権利が規定されており、第10~40条までの合計31条が基本的人権に関する記述です。 こんなにたくさん覚えられるか! と文句を言われそうですが、覚えるというよりも「こんな権利があるんだ」という感覚で、少しずつ丁寧に理解していきましょう。 まず大事なのは、日本国憲法における基本的人権は大きく分類して5つ、 平等権、自由権、社会権、請求権、参政権に分類できるということです。 ・ 平等権・・・差別されない権利 ・ 自由権・・・自由に生きる権利( 国家からの自由) ・ 社会権・・・人間らしい最低限の生活を国に保障してもらう権利( 国家による自由) ・ 請求権・・・基本的人権が守られるように国にお願いする権利 ・ 参政権・・・政治に参加する権利( 国家への自由) この5つを押えたうえで、基本的人権を一覧表にまとめてみましょう。 それではこの表を参考にしつつ、5つの人権別にそのポイントとその権利をめぐる裁判を解説していきます。 2.平等権… 法の下の平等(14条)、 両性の平等(24条) 平等権 とは差別されない権利のことです。 平等権は憲法14条、男女平等については24条に規定されています。 わかりにくい言葉を解説すると、 信条とは考え方のこと、 門地は生まれた家柄のことです。 この条文により、日本ではあらゆる差別を禁止しています。 ニュースで目にする世界中の民族紛争や人種差別などと比較すると、日本は差別のない平和な国のように錯覚する人もいるかもしれませんが、とんでもない! 日本も差別が根強く残る国です。 例えば、 男女差別。 高校生ぐらいまでは「女性は差別されている」と感じている人はそこまで多くないとききますが、就職や結婚、出産・子育てに関わる世代になってくると、 日本ではいまだにあからさまな男女差別が多くあります。 このことについては 21時間目:労働問題で詳しく解説します。 1984 国籍法 改正 日本人と外国人の両親を持つ子どもが日本国籍を取得するための要件が、 父系優先主義(=父親が日本人であるのみ日本国籍を取得できる)から 父母両系血統主義(=父母どちらかが日本人であれば日本国籍を取得できる)に変更。 1985 男女雇用機会均等法 職場・採用などにおける男女差別の禁止。 セクハラの禁止。 1999 男女共同参画社会基本法 社会的・文化的に形成されてきた男らしさ、女らしさ(= ジェンダー )を撤廃し、男女の仕事、家庭、政治への平等な参加を目指す。 2001 DV防止法 親しい異性(主に夫、恋人)からの暴力(= ドメスティック・バイオレンス )の防止。 さらに、民族・外国人差別です。 1995 アイヌ文化振興法 北海道旧土人保護法 を廃止し、差別されてきたアイヌ民族とその文化の保護を目的とする。 1999 指紋押捺制度の廃止 それまでは 永住外国人 には指紋押捺を義務付けていたが、廃止される。 2007 入国管理法改正 テロ対策として、観光客を含む外国人(永住外国人を除く)の入国の際に、 指紋の押捺を義務付ける。 2016 ヘイトスピーチ規制法 外国人に対する不当な差別言動を解消することを目的として制定。 北海道には古くから多くの アイヌ民族が生活していて、代々、就職や結婚などのときにひどい差別を受けてきました。 日本はアイヌ民族の保護のために明治時代に 北海道旧土人保護法という法律を作りましたが、この法律はアイヌ民族を保護するといいながら、 アイヌ民族を日本人化しようとする側面もあったため、「日本人=優れている、アイヌ民族=劣っている」というニュアンスが含まれており、以前から問題視されていました。 そんな中、日本が1995年に国連の 人種差別撤廃条約を批准することにより、 北海道旧土人保護法は廃止され、1997年に アイヌ文化振興法が制定されました。 この法律により、もう一度、自然と共生してきたアイヌ民族の素晴らしさを見直し、その伝統を保護しようという流れに変わってきました。 さらに、日本における外国人をめぐる状況について見ていきましょう。 最高裁判所が「永住外国人の地方参政権は憲法上禁止されるものではない」と判断したことがあるが、実際に条例を制定して、 外国人に参政権を認めている地方自治体はない。 例外として、留学生のアルバイト(週28時間以内)、 職業研修(3年)であれば肉体系単純労働への就業も可能(国内の外国人労働者の多くが職業研修の形で就業している)。 私が子供のころと比べて、私たちの周りには日常生活の中で多くの外国人を見るようになりました。 私が朝、近所をジョギングしていても、よく中国系や南米系の労働者の方々が徒歩や自転車で通勤しているのを目にします。 おそらく彼らのほとんどが、 肉体系単純労働者として、近所にある工場などで働いているわけですが、制度上、彼らは日本に「働きに来ている」のではなく、「職業研修のために来て、お金をもらっている」という形になっています。 研修という名目であっても、日本での労働で得られる賃金は、最低賃金でも、彼らの母国の賃金と比べれば破格であることもあり、この制度を使って日本に働きに…ではなく、研修に来る外国人は後を絶たず、 彼らの安い労働力が日本経済を支えている一面もあります。 ただ、そんな彼らの弱みに付け込み、かなり低い賃金で、劣悪な状況で働かせられ、苦しい思いをしている外国人労働者もいるようです。 1969 同和対策事業特別措置法 江戸時代から現代社会まで根強く続く部落差別により、不利益を被っている地域の生活環境の改善を図る法律。 1996 らい予防法 廃止 1953年に制定後、政府はハンセン病患者の強制隔離政策を実施してきたが、科学的根拠がなく、ハンセン病患者の人権を侵害していたことから廃止された。 私は、ニュージーランドに留学した時、韓国人に大変お世話になり、私と同じようにニュージーランドに英語の勉強をしに来た 韓国人の友人がたくさんできました。 彼らとは、仲良くなっていく中で、日本の漫画の話や、韓国ドラマの話などで盛り上がりました。 さらに、お酒の入った席では、彼らと竹島問題について激論を交わすこともありました…。 そんな彼らとのお別れの時、韓国人の一番の親友が私にこんなことを言ってくれました。 「韓国のニュースに出てくる日本人は、過激な思想を持った人がよく登場するので、日本人というのは韓国人のことをわかってくれないクレイジーなやつらだと思っていた。 しかし、トビにあったおかげで、日本人は、韓国人とも考えが近く、話をしていても分かり合えることがよくわかった。 だから、 うわさや限られた情報だけで人を判断するのではなく、直接会い、話し合うことがとても大事だということがよくわかった。 」 これに対し、私も全く同じことを感じたと答えました。 日本のテレビでも、韓国に関するニュースでは、極端であったり、過激なニュースがクローズアップされ、それらにより、私たちのイメージが作られてしまうことがよくあります。 大切なのは、 国内外に限らず、多くの種類の人たちに出会い、直接交流し、自分自身の頭で考えて行動すること。 みなさんがそういう意識を持つことができるということは、差別をなくすことができるだけでなく、広い視野を持つことができるようになります。 では、平等権に関する有名な裁判を紹介します。 まずは、最高裁判所が違憲判決を下したものから紹介します。 尊属殺重罰事件 1973年 【内容】 父親に性的暴行を受け、5人の子どもまで産まされていた娘が父親を殺害したところ、刑法に、尊属(目上の親族)を殺害した場合のみ通常の殺人よりも刑が重くなる「尊属殺重罰」規定があり、 憲法14条の平等権 との関係が問題となった。 【判決】 人命の重さを差別するのは平等権に違反するとして、刑法200条が 違憲判決 を受ける。 衆議院議員定数訴訟 1976年、1985年 【内容】 1972年の衆議院議員総選挙で、都市部と地方で一票の格差が4. 99倍(1983年は4. 40倍)もあったのは、 憲法14条の平等権 に違反するとして、選挙の無効を訴える。 【 判決】 今回の格差は 違憲 であり、今後も都市部と地方の一票の格差が3倍を越えると違憲とするという判決を出す。 国籍取得制限訴訟 2008年 【内容】 フィリピン人の母親と、日本人の父親との間に生まれた子供たちが、両親が結婚していないことを理由に日本国籍を認められないことは 、 憲法14条の平等権 に違反するとして、国籍の取得を要求する。 【判決】 両親が結婚していることを子供が日本国籍取得することのできる条件とする国籍法が 違憲判決 を受け、子供たちに日本国籍を認める。 婚外子差別訴訟 2013年 【内容】 婚姻届を出してない男女の間に生まれた子(婚外子)の遺産相続額が、通常の子の半額となってしまう民法の規定が、 憲法14条の平等権 に違反するとして訴える。 【判決】 民法の規定が 違憲判決 を受け、婚外子にも、結婚している男女の間の子と同基準の遺産相続を認める。 女性再婚禁止期間訴訟 2015年 【内容】 民法の規定により女性のみ離婚後6か月間は再婚できないという規定は、 憲法24条の両性の本質的平等 に違反するとして訴える。 【判決】 女性のみにこのような制約を設けるのは過剰であると判断され、100日を超える再婚禁止規定が 違憲判決 を受ける。 やはり、男女差別がからむ裁判が多かったという印象があります。 それほど、日本では男女差別に関する認識が国際感覚とずれているということでしょうか。 それ以外に、最高裁判所が違憲判決を出さなかったものも2つほど紹介します。 マクリーン事件 1978年 【 内容】 在留資格を持ったアメリカ人が、無許可で転職したことと、政治活動へ参加したことを理由に日本国内への在留期間の延長が認められなかったため、訴えを起こす。 【判決】 在留期間の延長は認められなかったが、 外国人であっても政治活動への参加などの基本的人権が認められる ことが確認された。 夫婦別姓訴訟 2015年 【 内容 】 「選択的夫婦別姓の会」を結成した女性たちが、選択的夫婦別姓を認めない民法の規定が 憲法24条の両性の本質的平等 に違反するとして訴える。 【 判決】 名字が統一されることは日本の家族制度に定着しており、合理性が認められているとして 合憲判決。 夫婦別姓訴訟で、裁判官たちが選択的夫婦別姓を認めなかった根拠の一つに、「民法では決して女性が男性の名字に変えることを強制しているわけではなく、男性が女性の名字に変えることも可能にしているわけだから差別ではない」というのがあったのですが、実際には結婚した 夫婦のうち96%が女性が夫の名字に変更しており、 名字を変更したために発生する面倒な事務手続きや、生活の変化への対応などを女性に押し付けてしまっている感もあります。 そう考えると、選択的夫婦別姓を認めるかどうかの議論も大切ですが、 名字は女性が変えるのが当然であると考えてきた日本人の感覚を変えることの方がもっと大切なのかもしれません。 3.自由権 さて、今度は一番種類の多い 自由権です。 そんな自由権は次の3つに分類することができます。 ・ 精神の自由=個人の考えなど、頭の中の自由。 ・ 身体(人身)の自由=政府により、体を傷つけられない自由。 とくに逮捕、裁判時における権利。 ・ 経済の自由=お金もうけ、財産に関する自由。 これらの中に、どんな権利が含まれるかは、1番最初に出てきた表を確認してください。 では、精神の自由から順番に説明していきましょう。 その結果、1935年には、天皇は政治機関の一つであるとする東大教授美濃部達吉の学説が、国の方針に違反するとして、美濃部達吉の本が出版禁止となり、美濃部達吉は東大教授と貴族院議員を辞職させられるという、「学問の自由」が侵された 天皇機関説事件も起きました。 また、「 法律の留保」の規定により、国民の自由や権利を制限する 治安立法も作られたため、政府を批判する思想は許されず、戦争に反対しただけで警察に逮捕、拷問されたりもしました。 そんな反省から、日本国憲法では 精神の自由を充実させることにしました。 にもかかわらず問題も起きています。 愛媛玉ぐし料訴訟 1997年 【 内容】 愛媛県知事が県の税金から、靖国神社(日本の戦没者を祭る神社)と愛媛護国神社に玉ぐし料約16万円を寄贈したことは、 憲法20条の信教の自由の政教分離の原則 に違反するのではないか。 【判決】 玉ぐし料という寄付金は、特定の宗教を支援することにつながるので、政教分離に違反し、 違憲判決。 空知太神社訴訟 2010年 【 内容】 北海道砂川市が市有地を無償で空知太神社に貸しているのは、特定の宗教に支援することにあたり、 憲法20条の信教の自由の政教分離の原則 に違反するのではないか。 【 判決 】 砂川市が特定の宗教を支援していると見られても仕方がない状態であり、 違憲判決。 砂川市は有償で土地を神社に貸し出すことにした。 憲法20条「信教の自由」では、国が特定の宗教をひいきしてはならないという 政教分離の原則を規定しているのですが、 愛媛玉ぐし料訴訟、空知太神社訴訟では、愛媛県、砂川市の行為が、この原則に違反しているとして、 違憲判決を受けました。 それに対し似たような裁判であるにもかかわらず、下で紹介する 津地鎮祭訴訟では、 違憲判決は出ませんでした。 つまり、上の2つの裁判では、愛媛県や砂川市が特定の神社に お金や土地のかたちで援助したとみられたのに対し、津地鎮祭訴訟では神社に提供された7000円は、 あくまで工事の安全を願う地鎮祭の費用であり、神社をひいきしたものではないと捉えられました。 つまり、同じ神社にお金を渡すのでも、その目的により違憲も合憲もありうるということです。 東大ポポロ事件 1963年 【内容】 東京大学の学生サークル「劇団ポポロ」が大学構内での政治的題材の劇を上演したところ、私服警官が調査にやってきているのを学生が発見し、暴行を加えた。 【判決】 警官の行為は、 憲法23条の学問の自由 に認められる 大学の自治 の侵害に当たるとして、学生たちは無罪を主張。 しかし、劇団ポポロの劇は、政治色の濃い内容であり、 学問研究と認められなかった ため、警察の行為は 合憲 とされ、暴行を加えた学生は有罪。 三菱樹脂事件 1976年 【内容】 一度は会社への採用が内定していた学生が、学生時代に安保闘争へ参加していたことを会社が知った後に採用を取り消され、 憲法19条の思想・良心の自由 が侵害されたとして訴えた。 【判決】 和解が成立し、学生は13年ぶりに復職できた。 しかし、裁判所は、企業にも好きな人を採用する「雇用の自由」があるという理由で、この件は 思想・良心の自由の侵害には当たらない と判断した。 津地鎮祭訴訟 1977年 【内容】 津市が市立体育館工事の安全を願う行事に、特定の神社に謝礼金7000円を公金から支払ったことは、 憲法20条の信教の自由の政教分離の原則 に違反するのではないか。 【判決】 この行事は 安全を願うことを目的とするもの であり、金額も少額で、宗教活動というほどでもないので政教分離の原則に違反するとは言えず、 合憲判決。 家永教科書訴訟 1997年 【内容】 家永三郎氏が第二次世界大戦中の日本軍の残虐行為を記述した日本史の教科書を作ったところ、文部省の教科書検定にパスせず、家永氏は、教科書検定は、 憲法21条の表現の自由 が禁止する「 検閲 」にあたるのではないかと訴えた。 【判決】 教科書検定は教育内容の統一のためには必要なシステムであるという判決により、 検閲には当たらない として、家永氏の訴えは却下。 数も多いし、意味の分かりづらい言葉も多いし、面倒くさいのでできたら説明したくないところですが、できる限り説明しましょう。 身体の自由とは、簡単に言えば「 体を傷つけられない自由」ですが、具体的には、 警察官や検察官などによる捜査の段階で自分たちの体を守る権利と言い換えることもできます。 ですので、ここで勉強することは 7時間目:裁判所で関わってきます。 ここでは、身体の自由の中でもわかりにくい言葉を4つほど解説します。 第31条: 罪刑法定主義 罪刑法定主義とは、どんなことが犯 罪になり、その犯罪をすればどんな 刑罰になるかは、 法律で 定めらなければならないという考え方です。 つまり、法律に基づかず、独裁者たちが独断で、犯罪を指定したり、重い刑罰を科したりするのを防ぐ考えです。 第33・35条: 令状主義 現行犯をのぞき、日本の警察や検察官が、容疑者を逮捕したり、住居の中に入って捜査・証拠品の押収をするときには 令状が必要です。 しかもこれらの令状を発行できるのは 裁判官です。 ここもポイントです。 刑事ドラマを見ていると「令状」という言葉が出てきて、令状はてっきり 警察署の署長あたりが出しているのかと勘違いするのですが、実際は 裁判所の裁判官が発行することになっています。 第39条: 遡及処罰の禁止、一事不再理 遡及処罰の禁止は、 あとから作られた法律で昔の犯罪を裁いてはダメだというルールです。 そうしないと、未来に作られる法律なんか予想して守られるわけありません。 最後に 一事不再理です。 日本の裁判では3回まで裁判をやり直すことができるのですが、 3回目の裁判で 無罪 が確定したら、その裁判はもう終わりですよというルールです。 というのが、日本の裁判には 再審というルールがあり、3回目の裁判が終わっても新しい有力な証拠が見つかれば、最初から裁判をやり直すことができるのです。 しかし、 再審が適用されるのは有罪になってしまった人のみで、 無罪の人は3回目の裁判が確定判決なので、もう安心してね、というルールです。 私も、暴行事件の被害者(あくまで被害者です。 加害者ではありません。 念のため…)になった時、悪いことをしたわけではないのに、警察署の狭い取調室で事情を聞かれ、私があいまいな説明をしただけで、するどいつっこみをいれてくる 警察官に威圧感を感じたことがありました。 この時は、別に私が話したことが嘘だと思われても、自分が有罪になるわけではないので、それでも落ち着いて話すことができたのですが、もし、これが自分の有罪がかかり、 代用監獄のような劣悪な状況におかれた中で、長時間、執拗に尋問されるとなると…、やってない犯罪を認めてしまう気持ちもわかるような気がしました。 そのような悲劇を起こさないためにも、人身の自由、とっても大切な権利です。 これは基本的にはお金もうけのための自由で、好きな職業について( 職業選択の自由)、好きなところに住んで( 居住・移転の自由)、好きなものを買って手に入れることができること( 財産権)などを保障しています。 そして、経済の自由をめぐっても2回ほど、最高裁判所から 違憲判決が出ました。 薬事法事件 1975年 【内容】 新たな薬局を開設しようとしたところ、半径100m以内に2軒以上の薬局を開設してはいけないという薬事法の規定から、広島県が許可を出さなかったので、この規定は 憲法22条の職業選択の自由 に違反するとして訴える。 【判決】 この規定が必要なものであるとは考えられないので 違憲判決。 薬局の開設は認められた。 共有林分割訴訟 1987年 【内容】 兄弟で共同所有する森林を、弟が分割して売却しようとしたところ、森林は自分の持ち分が過半数を超えないと分割・売却できないという森林法の規定から、兄の反対により売却することができなかったが、弟が、この規定は 憲法29条の財産権 の規定に違反するとして訴える。 【判決】 森林法の規定が 違憲判決 を受ける。 訴えは認められ、森林の売却は認められた。 4.社会権 次に 社会権です。 1時間目:民主政治のところで自由権と社会権の違いを説明したのを覚えていますか? 社会権とは、 国に人間らしい最低限度の生活を保障してもらう権利です。 日本国憲法では大きく分けて3種類の社会権を保障しています。 ・ 生存権(25条)・・・人間らしい最低限度の生活を国に保障してもらう権利。 ・ 教育を受ける権利(26条)・・・社会で生きていくための必要最小限の知識や能力を教育してもらう権利。 ・ 労働基本権(27,28条)・・・生活していくための仕事を与えられ、人間らしい労働環境で働く権利。 この3つの中で中心となるのが 生存権です。 貧困、失業、高齢者、病気、ケガ、障害、母(父)子家庭など、私たちは、何らかの理由で、生活費が足りず、人間らしい生活が送れなくなる場合があります。 そんなとき、 国が生活費を援助してくれたり、様々な政策で弱い立場の人たちを助けてくれるというのが生存権の保障です。 これについては、憲法25条に規定してあります。 こんな規定があるので、みなさんが困っても国が助けてくれるから安心してください! と言いたいところですが、 国にも税金が無限にあるわけではありません。 というわけでこんな裁判がありました。 朝日訴訟 1967年 【内容】 肺結核で入院中の朝日茂氏が、国から支給される月600円の生活保護費だけでは、 憲法25条生存権 で保障する最低限度の生活を保障できていないとして訴えを起こす。 【判決】 憲法25条の生存権の条文は、 国の目標を示しているだけ であり、 国民の具体的な権利を示しているわけではない。 よって、 この規定をめぐって国民が国を訴えることはできない (= プログラム規定説 )として、訴えは却下。 その後、朝日氏が死亡して、裁判は終了。 堀木訴訟 (1982年) 【内容】 母子家庭で全盲の堀木フミコ氏は、障害者年金を受け取りながら児童扶養手当を受け取ろうとしたが、児童扶養手当法によりこれら2つを同時に受給することは禁止されていたため却下され、訴えを起こす。 【判決】 朝日訴訟と同じように、 プログラム規定説 が適用され、堀木氏の訴えは却下。 身よりもないのに肺結核という重い病気にかかってしまった岡山県民の 朝日さんは、 生存権の規定に従って入院費の全額を国に負担してもらい、国から支給された 月600円の生活費で生活していました。 今と物価が違うので1ヶ月の生活費が600円なんて聞くと びびりますが、今のお金に換算すると月々1万円ぐらいだと思ってください。 当時の記録によると、少ないお金を何とかやりくりして石鹸や歯ブラシなどの日用品を購入し、1年間を1枚のパンツ、2足の靴下で過ごしていたというという貧しい生活です。 重い病気にかかっているのに、替えのパンツも靴下もない。 人間として最低以下と言ってもいい悲惨な生活でした。 しかし、その後、それまで連絡の途絶えていた朝日さんのお兄さんが、 月1500円の仕送りをしてくれることになりました。 朝日さんは大喜びです。 単純計算しても今までの2. 5倍の生活が送れると思ったわけです。 しかし、それを受けて国は、朝日さんに対し 月600円の生活費支給を停止することと、今まで国が全額払っていた 入院費をこれからは月900円ほど朝日さんに負担してもらうことを通達しました。 どういうことかわかりますか? 引き算してください。 つまり、せっかくお兄さんが仕送りしてくれることになったのに、朝日さんの 実際の生活費は月600円のままでした。 それに対して、怒りの朝日さんが国を「 月600円の生活なんて、人間の生活じゃねえよ!もっと生活保護費をあげてくれよ。 」と訴えたのが朝日訴訟です。 そして、この裁判において裁判所は プログラム規定説という考えを打ち出し、 朝日さんは裁判に負けてしまいます。 プログラム規定説とは「 憲法25条の生存権の規定は国の目標(プログラム)を規定しているだけであり、 生存権の基準をめぐって国民は裁判をおこすことはできない」という考えのことです。 例えば、私が自分の生徒たちに対して、「どんなことがあっても、お前たちは俺が絶対守る!」というかっこいい 目標を宣言したとしましょう。 なのに、ある生徒が下校途中にチンピラに絡まれ、ボコボコに殴られてて大ケガをしましたとしましょう。 だからといってその生徒は「飛垣内先生が僕を絶対守るという約束を守らなかった!」といって 訴えることはできません。 あくまで私の「お前たちは俺が絶対守る!」というのは しょせん目標(プログラム)に過ぎず、 義務ではないのだから…。 そんな「理屈はわかるけどなんかムカつく理論」それが プログラム規定説です。 確かに理屈はわかるんですが、国もそんな理論で考えていいのかな? とは思います。 さらに、このプログラム規定説によって 堀木訴訟も、堀木さんの訴えが退けられました。 生存権をめぐる裁判では、日本政府と裁判所は弱者に厳しいのでしょうか…? 次に 教育を受ける権利についてです。 教育を受ける権利は憲法26条に規定されていますが、この条文の中に「すべて国民は、 法律の定めるところにより」という記述があります。 ここでの「法律」にあたるのが、教育界における憲法といわれる 教育基本法です。 ですので、日本の教育は、この教育基本法を基本方針として実施されています。 最後に、 労働基本権について説明しましょう。 労働基本権に中にもさらにいくつかの分類があります。 ここは 21時間目:労働問題とも関わってきます。 労働基本権とは、 労働者のための基本的な権利全般のことを指し、さらにこの 労働基本権が、 勤労の権利(27条)と 労働三権(28条)に分類されます。 勤労の権利とは 就職の機会を国に保障してもらい、人間らしい環境で働く権利のことです。 そして、 労働三権とは、 団結権、団体交渉権、団体行動権(争議権)のことで、弱い立場にある 労働者たちが使用者(社長などの経営者)と対等の立場で戦うために 団結して労働組合を作り( 団結権)、 使用者と交渉し( 団体交渉権)、いざとなれば ストライキなどの争議行為を起こす( 団体行動権)権利のことです。 これらの権利が保障されることより労働者たちは使用者に、安い賃金でこき使われるのを防ぐことができます。 労働三権は憲法28条により、全ての労働者に保障されていますが、日本では 例外として公務員には労働三権を制限しています。 以下の図がその一覧です。 確かに、犯罪や火事が起きても、警察や消防署がストライキ中でいない、なんてことになると、困るような気もしますが、 2時間目:世界の政治のところで扱ったように、 国際人権規約では公務員にも争議権を認めるというのが国際基準となっています。 5.請求権 これだけ、憲法で権利を保障しているにもかかわらず、なかには権利を侵害され、悲しい思いをする人が出てきます。 そんな人たちを助けるために保障されているのが 請求権です。 ・ 請願権(16条)・・・国や地方公共団体に意見や苦情を訴えることができる権利。 ・ 国家賠償請求権(17条)・・・国の機関や公務員のミスにより被害を受けた場合、お金による保障を受け取ることができる。 ・ 裁判を受ける権利(32条)・・・裁判によって問題を解決してもらう権利。 ・ 刑事補償請求権(40条)・・・無罪なのに裁判にかけられた場合、無罪が確定した時点で、お金による保障を受け取ることができる。 みなさんがもし自分の権利を侵害され、嫌な思いをすることがあれば、 請願権をつかって市役所などに訴えるなり、 裁判をおこす(= 裁判を受ける権利)なりしてみてください。 ちなみに私も、住んでいた市が行う道路工事現場で、建築業者のミスにより私の運転する自転車が転倒してケガをしたことがありました。 この時には相当腹が立ったので、市役所に電話して苦情を言ったら(= 請願権)、市からお詫びと治療費をかねて約1万5000円もらえました(= 国家賠償請求権)。 この時は、別にお金が欲しくて電話したわけではないのですが、結果的に、国家賠償請求権も使う形になりました。 郵便法事件 2002年 【内容】 郵便配達の遅れにより、780万円の損失を受けた会社社長が、郵便局(当時は国の機関)に損害賠償を訴えた。 しかし、郵便法の規定によれば、郵便物の遅れによる損失に関しては郵便局が損害を賠償する義務はなかった。 【判決】 郵便局の配達ミスによる損害は、 憲法17条の国家賠償請求権 の対象に当たるという判断で 違憲判決。 私は、郵便局のミスで、年賀状が1月1日に1枚も届かなかった年がありました。 どうやら、アルバイトが私宛の年賀状の束をなくしてしまったっぽいです(たぶん友達がいないわけではないと思うのですが…)。 しかし、年賀状のような 普通郵便であればもし郵便局が無くしたとしても郵便局側には弁償する義務はありません。 ただ、速達郵便以上の特別な郵便物を「 無くした」場合、郵便局には弁償の義務があります。 それでも、配達が「 遅れた」ことによる弁償の義務はどんな郵便物であれ、郵便局側に弁償の義務はありませんでした。 しかし、当時はまだ国の機関のであった郵便局がそれじゃあ無責任であろうということで、最高裁判所は 憲法17条の国家賠償請求権に基づき、 違憲判決を出しました。 もう一つ、 刑事補償請求権について説明します。 日本の裁判制度の正確さは、世界的にみてもかなり評価は高いのですが、それでも、残念ながら無罪の人が有罪判決を受けてしまうという 冤罪が何度か発生しています。 その中でも、 死刑判決が再審により無罪に覆ったものだけでもこのような裁判があります。 事件名 請求者 罪状 無罪確定までの年月 刑事補償金額 免田事件 免田栄さん 強盗殺人 34年8ヵ月 9071万2800円 財田川事件 谷口繁義さん 強盗殺人 34年1ヵ月 7496万6400円 松山事件 斎藤幸夫さん 強盗殺人 29年9ヵ月 7516万8000円 島田事件 赤堀政夫さん 殺人 34年5ヵ月 1億780万5400円 これらの裁判では、事件が発生して 逮捕され無罪が確定するまでに約30年もたっています。 つまり、この事件の被告人となった人たちは、警察官や検察官の捜査や裁判のミスのため、人生の大半を裁判に費やされてしまいました。 彼らの青春時代はもう戻ってきませんが、 刑事補償請求権を使うことにより、国からお詫びのお金として 刑事補償金が支給されます。 お金だけでは解決できる問題ではありませんが、せめてこのお金で、残った人生を充実したものにして欲しいものです。 6.参政権 次は 参政権です。 参政権とは 政治に参加する権利のことですが、実際に政治を行っているごく少数の政治家たちを除いて、国民の大多数は、選挙で政治家を選ぶ 選挙権しか持っていません。 このように選挙に参加することによって間接的に政治に参加することを 間接民主制といいます。 つまり 基本的に日本は間接民主制の国なのですが、日本国憲法には、国民が 直接自分たちの意見を政治に反映できる 直接民主制を、3つほど規定しています。 次に 地方自治特別法についてです。 基本的に国会は、日本全国に通用する法律を作るところですが、1949年に原爆で荒廃した都市を再建するためにつくられた 広島平和記念都市建設法や 長崎国際文化都市建設法のように、広島市、長崎市のような 特定の市町村のためだけの法律をつくることもあります。 このような法律のことを(地方自治) 特別法というのですが、特別法を制定するときは、国会での決議のあと その該当する市町村の住民による直接の投票で過半数を獲得しないと制定することはできないというルールがあります。 ですので、広島平和記念都市建設法や長崎国際文化都市建設法が制定された時には、広島市民と長崎市民による住民投票が行われました。 最後に 憲法を改正するときには、国会で総議員の3分の2以上の賛成を得たあと、 国民による直接投票により過半数の賛成を得ないと改正することはできないというルールがあります。 これは 2時間目:世界の政治で説明したとおりです。 以上、憲法によるとこの 3つのパターンの時、国民の直接投票を政治に生かすことができることになっていますが、実際には、国民審査でやめさせられた裁判官は一人もいないし、特別法の投票も1952年に伊東市で住民投票が行われたのを最後に実施されていないし、憲法改正の投票なんか行われたことすらないので、けっこう 日本国憲法における直接民主制の制度は、あまり役に立ってないと言うことができます。 7.新しい人権 これまでは、日本国憲法に記載されている人権(権利)について解説してきましたが、それ以外にも 新しい人権と呼ばれる人権もあります。 日本国憲法はいまから約70年前に作られましたが、この70年間で社会も多く変化してきました。 そんな時代の流れの中で、 「憲法には載ってないけど、こんな権利も保障しないといけないのではないか」と考えられて、裁判の中で主張されるようになって来た権利、それが新しい人権です。 裁判で主張され、学校の教科書に載り、受験で聞かれるくらい大切な権利なら、とっとと憲法に付け加えればいいじゃん、と思う人もいるかもしれませんが、先ほども触れたように、日本国憲法は改正の方法がむちゃくちゃ複雑で、今まで改正されたことが一度もありません。 その関係で、今から説明する 環境権、プライバシーの権利、知る権利などはどう見ても大切な権利なのですが、憲法には付け加えられず、いつまでたっても新しい人権のままです。 しかし、これらの権利は50年以上前から主張されています。 ぜんぜん「新しい」ことないのですが…。 新しい人権として有名なものとして、このような権利があります。 さきほど説明したように環境権は憲法には載っていませんが、新しい人権が裁判で主張されるときは、憲法に載っている権利とこじつけるような形で主張される傾向があります。 ちなみに環境権は 13条の幸福追求権と、 25条の生存権です。 ~第13条~ すべて国民は、個人として尊重される。 生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 つまり憲法には「環境権」という言葉はないけど、「幸福追求権」があるのならば、幸福な環境を追求する権利もあるはずだ。 さらに「生存権」という人間らしい最低限度の生活を保障してもらう権利があるのなら、人間らしい最低限度の環境も保障してもらう権利もあるというわけです。 裁判ではこのような理論により環境権が主張されてきました。 大阪空港公害訴訟 1981年 【内容】 工事の計画ミスにより、大阪空港(伊丹空港)周辺の住民が、基準値をはるかに超える騒音に悩まされ、住民たちは賠償金と夜間飛行の差し止めを請求する。 【判決】 住民への賠償金は支払われたが、 夜間飛行の差し止めは認められなかった。 大阪空港(伊丹空港)は大阪、神戸からそんなに離れていない住宅密集地のど真ん中にあり、観光客から見れば、離着陸時に大阪ドームや大阪城や通天閣などが窓から見えて、けっこう楽しかったりするのですが、この空港ができたことにより、 建設前の住民への説明よりもかなりうるさい騒音が発生してしまったため、住民たちは怒って裁判に訴えました。 裁判の結果、 住民たちは一応勝利して、空港を建設した 国から賠償金を受け取ることはできたんですが、住民たちが要求した 夜10時から朝5時までの夜間飛行の差し止めは残念ながら認められませんでした。 住民たちはかわいそうでしたが、その後、新しい解決策として、夜間飛行が可能な国際便用の空港として、住宅地から離れた沿岸埋立地に、 関西国際空港が作られたわけです。 例えばパソコンが発達するのは確かに便利ですが、知らないところで自分の情報が出回るなんてたまったもんじゃありません。 プライバシーの権利も憲法には載ってませんが、裁判の時にはさっきも出てきた第13条の中の「 個人の尊重」が根拠とされます。 つまり憲法に「個人の尊重」が主張されているのなら個人のプライバシーの尊重も主張されていいはずだ、ということです。 『宴のあと』事件 1964年 【内容】 三島由紀夫の小説『宴のあと』が、実在の政治家の私生活を題材にして書かれたものであった。 【 判決】 裁判所が初めてプライバシーの権利を認め 、政治家が勝訴。 三島氏は政治家に賠償金を支払う。 『石に泳ぐ魚』事件 2002年 【 内容】 柳美里の小説『石に泳ぐ魚』が、本人の許可なく、実在の女性をモデルに書かれていた。 【判決】 公的立場にもない女性のプライバシーの権利を著しく侵害したとして、女性の訴えは認められ、最高裁判所はこの小説の 出版停止 を通告した。 新しい人権のほとんどが、結局のところ裁判で認められていないのですが、 プライバシーの権利だけは 『宴のあと』事件 によって裁判所が認めることとなりました。 そして、 『石に泳ぐ魚』事件の時には、「プライバシーの権利」を理由に、 最高裁判所が小説の出版停止を命じるなど、情報化が進む現代においてプライバシーの権利はかなり重要視されてきているのがわかります。 しかし、プライバシーの権利が今後問題になりそうな法律もあります。 1999 通信傍受法 犯罪捜査のために警察が電話の通話を盗聴することを認める。 2003 個人情報保護法 個人が識別可能な情報の不正入手や、本人の同意なしでの利用を禁止し、違反者を処罰する。 2013 マイナンバー法 全国民に12桁の個人番号をつけ、いままでバラバラに管理していた住民情報・租税・医療・年金などの情報を結び付けることにより、行政手続の簡素化、租税・保険料の確実な徴収を目指す。 通信傍受法の制定により警察官が凶悪犯罪の捜査のために、国民の電話を盗聴したり、メールを見たりできるようになりましたが、犯罪に関係ない人の会話も盗聴される危険性もあり、プライバシーの権利が問題となっています。 さらに、2013年に制定された マイナンバー法により、日本国民全員に12桁の番号をつけ、個人の情報を国のコンピュータが一括管理するようになりました。 これにより日本政府が国民の所得などを確実に管理し、納税や保険料の徴収がスムーズにいくなど、政府側にはメリットが大きいのですが、我々国民からすると、 マイナンバーが流出してしまったら、この家はお金を持っているかとか、結婚歴・離婚歴・病歴などの知られたくない情報が漏れてしまう危険性もあります。 2003年に制定された 個人情報保護法はプライバシーの権利を保障するための法律です。 ただ、プライバシーを守りすぎると、今度は、自由な報道に規制がかかり、 自由なテレビ番組や出版ができなくなる可能性もあります。 例えば、ある政治不正についてニュースで流そうと思ったら、関係者の許可が取れなかったので放送できない。 なんてこともありえます。 プライバシーの問題は難しいですが、残念ながら、今後、情報化社会が進み、世の中が便利になればなるほど、プライバシーをめぐる問題はさらに複雑になるでしょう。 政治がどのように行われているのか。 特に国民が払った税金がどのように使われているかといった情報は、国民にきちんと知らせないといけないし、そういった情報が国民に知られてしまうと思ったら、政治家や公務員たちも悪いことはできません。 しつこいようですが、知る権利も憲法には載ってません。 その代わりに憲法21条の「 表現の自由」を根拠に主張されています。 表現の自由を根拠に知る権利が主張というのはいまいちわかりにくいので、もう少し説明すると、 テレビ局や新聞社たちが正しい情報(ニュース)を表現しようと思ったら正しい政府の情報を知る権利が必要となってきます。 つまり、ここでの表現の自由を根拠にした知る権利とは、テレビ局や新聞社といったマスメディアによる知る権利を意味します。 1980~1990年代にかけて、政治家や公務員が不正に国民の税金を使い込んでいる事件が多発し、国民の政治不信が高まりました。 公務員が、出張費といつわって、税金を自分のものにしていたり、勉強会といつわって、そのお金で風俗店に行っていたりとひどいものでした。 その反省を受けて、1999年には 情報公開法が制定され、これにより だれでも(外国人でも)請求すれば政府の情報を知ることができるようになりました。 しかし、ここで公開される情報は 内閣(行政機関)に関する情報に限られ、国会や裁判所に関する情報は請求することができません。 あとは、防衛に関する情報や個人の秘密に関する情報もダメです。 1999 情報公開法 中央省庁の行政文書を要求(要求するのは日本人でも外国人でも可能)があれば、公開することを定める。 2014 特定秘密保護法 自衛隊や安全保障問題など、特定秘密に指定された情報は国民に公開されず、漏らした場合は罰則が加えられる。 そんな知る権利を侵害するのではないかという疑いがあるのが2014年に制定された 特定秘密保護法です。 この法律の施行を受けて、2015年末の時点で 政府の情報のうち446件が特定秘密に認定され、国民に公開されないことになっています。 確かに外交上・防衛上問題になるような情報は、公開されないことも必要かもしれませんが、あまりに多くの情報が秘密となり、その情報がどんな情報なのかまったく知らされないのは、 知る権利や 表現の自由に反するとしてジャーナリストたちが訴えています。 サンケイ新聞意見広告事件 1987年 【内容】 サンケイ新聞に自民党が共産党を批判する意見広告を出したところ、共産党がサンケイ新聞に対して アクセス権 を主張し、同一スペースの意見広告の無料掲載を要求したが、サンケイ新聞はこれを拒否した。 【判決】 アクセス権は認められず 、サンケイ新聞に無料掲載の義務はないとして、共産党が敗訴。 この裁判では、アクセス権は認められませんでしたが、今後、情報化がさらに進み、マスメディアの影響がさらに強くなっていくと、アクセス権は必要になるかもしれません。 例えばこのような問題があります。 また、死の間際になった時、抗がん剤などの延命治療を行うのか、それとも治療を放棄し、できる限り自然死を受け入れるのか。 あるいは薬物などを用いることにより苦しめずに死を迎えさせる 安楽死(日本では禁止)を認めるのかという問題もあります。 若い人ほど、こうした問題はピンと来ないかもしれませんが、自分が死ぬ時だけでなく、私も、自分の妻や子供たちが脳死になったり、余命宣告を受けると想像しただけでも、落ち着かない気持ちになります。 そうした時にパニックにならないためだけでなく、自分の限られた人生を有意義に生きるためにも、 こうした問題について生前から家族や友人たちと真面目に語り合う時間も必要なのではないでしょうか。 インターネットというのは怖いもので、一度ネット上に載ってしまった情報は、本人の知らないうちにどんどん拡散してしまう可能性もあります。 例えば私の名前「飛垣内」でGoogle検索した場合「政経、政治経済、政治経済塾」などの検索ワードが出てきて、私としては、なんとなく調子に乗ってしまいそうになるのですが、これが「スケベ、詐欺師、犯罪者」とかのワードになってしまうと、逆に二度とパソコンなんて触りたくもなくなるのではないかと思います。 つまり、このように ネット上に本人の望まない情報(画像、ニュースなど)が出回ってしまった場合、検索サイトに依頼して削除してもらう権利のことを「 忘れられる権利」といいます。 EU(ヨーロッパ連合)では法制化され、削除が行われていますが、 日本ではまだこの権利が認められ、削除が行われた例はありません。 7.国民の義務と公共の福祉 今回は、日本国憲法に載っている権利をたくさん勉強してきましたが、これらの 権利を主張するためには、日本国民としての義務も果たさなければなりません。 最後に国民の義務について説明します。 まず、日本国憲法は日本国民に3つの義務を課しています。 ・ 納税の義務(30条) ・ 保護する子女に普通教育を受けさせる義務(26条) ・ 勤労の義務(27条) この中で注意するのは「 保護する子女に普通教育を受けさせる義務」です。 この義務は小・中学校の義務教育に関する記述ですが、ポイントはこの義務は子どもたちが義務で学校に行くのではなく、 親たちが義務で子どもを学校に行かせるのだということです。 この義務は大人たちへの義務だということをお忘れなく。 さらに、公務員には 憲法擁護義務というのもあります。 これは、公務員とは、政府に雇われ、国民のための仕事を行う存在なのだから、しっかり憲法を守り、国民のよい見本になりなさいよという義務です。 言ってることはわかるけど、 わざわざ憲法にのせるほどのことなのかなとも思います。 そして、義務のほかに国民の権利を制限するものとして、 公共の福祉というものがあります。 公共の福祉とはなかなか理解してもらいにくい単語の一つですが、わかりやすい言葉に言い換えると 「みんなの幸せ」「思いやり」といった言葉になると思います。 例えば、憲法21条では 表現の自由を規定しますが、だからといって、 どんなことでも自由に表現してもいいわけではありません。 とくに人を傷つけることを言ったり、テレビや新聞がうその報道をしたりということは、許されることではありません。 あるいは、憲法22条では 職業選択の自由が規定してありますが、好きな職業についてもいいからといって、麻薬の売買や人身売買、殺し屋などの職業についてもいいかというとそうではありません。 つまり、 基本的に人々は自由に行動する権利を持っているけど 公共の福祉( みんなの幸せ、思いやり)のことを考えると、 権利を制限されることがある。 このような原理のことを 公共の福祉といいます。 自分だけでなく、 みんなが幸せになる世の中をめざすためには公共の福祉に従う義務もあるということです。 チャタレー事件 1957年 【内容】 D・H・ロレンスの『チャタレー夫人の恋人』の性描写が、刑法で禁じるわいせつ的な表現に当たるとして、出版社と翻訳者が訴えられたが、彼らは、 表現の自由 の侵害に当たるとして反論する。 【判決】 露骨な性描写は、善良な公衆道徳を侵すものであり、 公共の福祉 の概念から、 表現の自由 を制限してもかまわない として、翻訳者と出版社が有罪判決を受ける。 「チャタレー夫人の恋人」という、エッチなシーンが掲載された小説が出版されました。 しかし、そんな エッチな小説が若者たちに読まれることになると、教育上よくありません。 ですので、この本の出版停止を求めて裁判が行われました。 しかし、出版社側としては、日本国憲法には「 表現の自由」があるので、出版が差し止められるのはおかしいと反論します。 つまり、権利や自由を優先させるのであれば、この理論も通るわけですが、世の中にはエッチな小説を読みたい人もいれば、私のように真面目で純粋でそんなエッチな小説なんて全く読みたくない! けがわらしい! と思っている人もいるわけです(すみません。 ウソをつきました)。 ですので「表現の自由」はあるかもしれないけど、青少年への教育や(わたしのように?)真面目な人たちの幸せのことを考えると、 公共の福祉の原理から「表現の自由」が制限されたのが「 チャタレー事件」です。 2017年3月18日.

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基本的人権(きほんてきじんけん)とは

基本 的 人権

憲法第14条では、貴族制度の禁止、両性の平等、選挙権の平等、教育の機会均等を定め、不合理な差別を 禁止している。 19世紀の夜警国家では、差別を一律に禁止して、誰でも自由競争に参加できる機会の平等さえ確保すれば よいという 形式的平等が当たり前だった。 ところが、20世紀の福祉国家では、各人の実質的な差異を考え、 経済的弱者に 社会権を保障して結果の平等まで確保すべきであるという 実質的平等が重視された。 実質的 平等とは、個人間の格差やハンディキャップを是正した平等のことで、合理的理由のある差別は憲法上認めら れる。 <実質的平等の例> ・ 累進課税制度で、所得の多い人に高い税率をかける。 ・ 少年犯罪は刑が軽い。 ・ 目の不自由な人に特別な投票権を認める。 ・ 国籍条項(日本国籍でない者が公務員になることを認めない) 、など。 新民法 ・ 1) 個人を尊重し、夫と妻、兄弟姉妹は互い ・ に同等の権利を持つ。 ・ 2) 財産の相続に関しては 均分相続になり、 男女はまったく平等になった。 夫婦別性 結婚したらなぜ 「夫婦同姓」にしなければならないのか…夫婦に同姓を強制することは憲法違反ではないか、最高裁が判断することになった。 1870年 … 広く国民が「姓」を持つことが許される。 1898年 … 明治民法が施行される。 「家族は同じ家の姓を名乗ること」と規定され、戸主が家を統制し、夫が妻よりも上に立つ家制度だったので、「家に入る=夫の姓を名乗る」が慣習になった。 同時に「女性 は離婚後6か月間は再婚禁止」という規定もこの時にできた。 1948年 … 民法が改正される。 「家の姓を名乗る」という規定はなくなったが、夫婦同姓の規定に変化はなかった。 ただし、夫と妻のどちらの姓を名乗ってもかまわない。 96%が夫の姓を名乗っている ( 2014年 )。 夫婦同姓で姓が変わると、仕事上、せっかく多方面に名前を覚えてもらったのに、わかってもらえなくなるなどの不都合がある。 民間企業での旧姓使用は浸透しつつあり、約65%の企業が旧姓使用を認めている( 2013年 )。 パスポートや免許証は戸籍名なので、海外で仕事をする時は不便だったり、本人確認のために提示を求められた時は困る。 教員免許は原則、戸籍名だが、日常の業務で戸籍名と旧姓のどちらを使うかは、学校の裁量に任されている。 夫婦別姓に対しては「家族の一体感がなくなる」「親と子が別の姓になり、よくない」などの反対意見も根強い。 <外国では…> 夫婦同姓を義務づけているのは日本くらいか! 中国、韓国、ブラジルは夫婦別姓で、結婚しても姓は変わらない。 フランスも別姓だが、妻は夫の姓を名乗ることもできる。 アメリカは州によって異なる。 ドイツやロシアは、夫の姓か、妻の姓か、結婚しても姓を変えないか、を選択することができる。 自由権 大日本帝国憲法の下では、不当な拘束や拷問など国家権力による身体の自由の侵害が少なくなかった。 そういったことが二度と起こらないように、公権力によって不当に身柄を拘束されないように、個々人の行動の 自由を保障した。 ・ 2) 法律によらなければ罰せられない権利 ( 第31条 ) 『 何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を 科せられない 』 として、 法定手続きの保障を定めた 適法手続き=デュー・プロセス。 この第31条は、刑事手続きだけでなく、税務調査などの行政手続き、捜査における違法性にも適用さ れる。 たとえば、おとり捜査による逮捕は無効となるし、違法収集証拠も排除される。 また、第31条は、犯罪と刑罰はあらかじめ成文の法律によって定められていなければならないとし、 法律(刑法をさす)によらなければ逮捕されないという 罪刑法定主義の原則も含む。 ・ 3) 現行犯逮捕を除き、逮捕する場合には裁判官の発する令状を必要とする( = 令状主義 )。 また、取調べに同行しても身柄を拘束されない。 人権の侵害を最小限に抑えるため、身柄を拘束は、逮捕から最大23日間となっている。 ・ 4) 弁護人依頼権を保障している。 ( 第34条 ) 被告人が貧困などの理由で弁護人を選任できない時は、裁判所が 国選弁護人を選任してくれる。 ・ 5) 公務員による拷問と残虐な刑罰を禁止した。 ( 第36条 ) 死刑が残虐な刑罰にあたるかどうかという議論があるが、最高裁は「残虐刑にあたらない」としている。 ・ 死刑が 6) 何人も、自己に不利益な供述を強要されない( = 黙秘権が保障されている )。 ( 第38条 ) ・ 7) 「強制、拷問若しくは脅迫による自白」「不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白」は証拠にできない。 また、「自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合」有罪とすることはできない。 ( 第38条 ) だから、被疑者が自白した場合でも、凶器をさがすためダイバーが湖にもぐったりするのだ。 8) 『 何人も、実行の時に適法であった行為・・・については、刑事上の責任を問はれない 』 ( 第39条 ) ある行為が犯罪と認定されて刑罰が科せられるのは法律に規定がある場合に限られるという原則だ。 これを具体化したのが、第39条の 遡及 ソキュウ 処罰の禁止 ( 事後法処罰の禁止 )である。 つまり、実行の時に犯罪でなかった行為は、後になってその行為が刑法で犯罪と定められても、過去に 遡 サカノボ って処罰されることはない。 行為後の刑法によって処罰されるとしたら、私たちは行動する 時に、常に将来の刑法を予測して行動しなければならなくなってしまし、行動の自由が奪われてしまう。 この遡及処罰の禁止は罪刑法定主義のあらわれで、罪刑法定主義にいう「法」とは、行為時の刑罰法規 のことである。 他に、第39条は、 一時不再理( 一度無罪が確定したら、再び刑事責任は問われない )、 二重処罰の 禁止( 一つの行為を前と異なる罪として再度処罰することを禁止する )を規定している。 ( 注 ) 裁判によって無罪を勝ち取った被告人を保護するのが目的で、被告人に不利な方向=有罪 の方向で再審を認めない、ということだ。 だから、 被告人に有利な方向=無罪の方向での再審 は、この39条の解釈上、被告人保護の観点から認められているので、無罪の方向への再審は 認められている。 被疑者や被告人は、裁判で有罪が確定されるまでは無罪として扱われる = 無罪推定の原則。 刑法第66条には酌量減軽規定があり、被告人の事情や犯罪の動機を考慮して、法定刑の最下限より軽い 判決を下すことができる。 時として、自白強要の温床になり、誤判を招きかねないと いう批判もある。 【精神の自由】 精神の自由として、 1)思想・良心の自由、2)信教の自由、3)表現の自由、4)学問の自由の4つがある。 1) 思想・良心の自由 (第19条) ・・・ 外部に発表されない内心の自由 思想のために他者から抑圧や差別を受けないこと、そして、自らと異なる思想を強要されないことを含む。 国旗・国歌法(1999年)は、日の丸・君が代を事実上強制する点で、思想・良心の自由を侵害する可能性が あるという批判がある。 国および郷土を愛する心を明記した 改正教育基本法(2006年)も、同様の批判があ る。 愛国心や郷土愛は自然発生的なもので、国家によって強制されるべきものではないとする批判である。 良心の自由とは、良いと思う心( 何を正しいと思うか )は個人の自由であるということである。 三菱樹脂事件 思想・良心の自由(第19条)が問題になった判例 大学を卒業して三菱樹脂に入社した高野達男さんが、在学中の学生運動歴を隠していたという理由 で、3ヵ月の試用期間の終了時に本採用を拒否された事件。 高野さんは、これを思想の自由の侵害 であるとして争い、第一審・第二審では勝訴したが、1973年・最高裁は 企業の本採用の拒否を認め、 高野さんの主張を退けた。 民間企業と個人の雇用契約という私人間の問題であるから、契約自由 の原則が優先し、企業としては雇っても雇わなくてもよい、であった。 この訴訟は、当事者間で和解が成立し、原告・高野さんは職場復帰を果たした。 他に、思想・良心の自由が問題になった判例に、裁判所が下した 謝罪広告命令が第19条に違反しないかどう かが争われた裁判がある。 意思に反して謝罪の広告を出すことを強制される点が、思想・良心の自由の侵害 ではないかが争われたが、最高裁は 「合憲判決」 を出している。 2) 信教の自由 (第20条) 信仰の自由や宗教活動の自由をいい、どんな宗教を信じてもよい、また信じなくても自由である、という意味 だ。 その保障を徹底するために、国家の政治と宗教は結びついてはならない 政教分離の原則を定めた。 明治憲法でも信教の自由を保障していたけれど、実際は神社神道が国教として特権を受け、キリスト教や大 本教 オオモトキョウ のように弾圧された宗教も少なくなかった。 そして、戦前の国家神道は国民に強要され、ひ いては軍国主義、戦争の遂行にも利用されたという深い反省から、政教分離の原則を明らかにしている。 ・ 政教分離については緩やかに考えて、ある程度の国のかかわりはやむを得ないという判決が多く、最近では、 愛媛玉串料訴訟だけが違憲判決を出している。 最高裁は、津市の地鎮祭への公金支出は宗教活動にはあたらな いとして、1977年に合憲判決を下している。 下級裁判所は違憲判決を出したが、最高裁は、1988年に合憲判決を下している。 目的効果基準とは、問題となった行為の目的が宗教的意義を持つかどうか、特定の宗教に対する援 助や助長、圧迫、干渉になりうるかどうかを裁判所が判断する基準をいう。 最高裁が政教分離に違反するかどうかを認定する時には、目的効果論を用いている。 3) 表現の自由 (第21条) ・・・ 精神内部の思考を、外部に発表する自由 第21条1項では 『 集会、結社及び 言論、 出版その他一切の 表現の自由は、これを保障する 』 と定めている。 この表現の自由は、個人の自己実現とともに、民主政治を支える重要な自由でもある。 表現の自由は内心 の自由とは異なり、個人の自由や権利との関係で 「 制限 」 が必要とされる場合がある。 プライバシーの権利 を保護するために表現の自由が制限されたり、公安条例によってデモ行進や集会が制限されるなど、公共の福 祉による必要最小限の制約を受ける。 ・ 表現の自由の制限が合憲か違憲かが問題になった事例では、 最高裁はすべて合憲判決を下している。 ・ チャタレー事件 わいせつ文書( 『 チャタレー夫人の恋人 』)の販売を禁止することは、善良な性道 徳と性的秩序を守るための必要最小限度の規制措置とした。 ・ 『石に泳ぐ魚』事件 芥川賞作家・柳美里(ユウ・ミリ)が、知人の在日外国人の私生活を小説にした事件 の裁判で最高裁は、正式に プライバシーの権利を認め、小説の発行差し止めも初め て認める判決を下す。 ・ 第21条2項は、 検閲の禁止 と 通信の秘密を定めている。 これまで、文部省による教科書検定( 家永教科書 訴訟 )や税関による図画・写真の検査がこの検閲にあたらないかが問題になった。 家永訴訟 教科書裁判 東大の学生劇団・ポポロが、東大内の教室で演劇発表会を行った際に、学生が私服警察官に暴行 を加えたとして起訴された事件。 警察官は大学の了解なしに、長期に渡り東大構内に入り、情報収集 活動を行っていた。 憲法に明文はないけれど、 学問の自由には 大学の自治 が含まれている。 大学の自治とは、大学内部 の運営は大学の自主的な決定にまかせ、外部勢力( 公権力 )が干渉してはならないという原則をいう。 東大ポポロ劇団事件は、最高裁が一般論として 大学の自治を認めた裁判として知られている。 第一審・第二審は暴行を加えた学生に無罪判決を下したが、最高裁は、1963年、ポポロの演劇発表 会は政治的社会的活動( 学生運動の拠点 )であり、一般論として大学の自治は認めるが、学生サークル には大学の自治は保障されず、警察捜査権は及ぶとした。 社会権が登場すると、社会的・経済的弱者を救済するために、経済活動の自由は公共の福祉のために、法律 によって大きく制約を受けることになる。 1)に関して、第22条では、外国移住及び国籍離脱の自由も認められている。 また、明文化されていないが、 営業の自由も、職業選択の自由に含まれると解釈されている。 <例> 「営業の自由」が制限される場合 … 複数の企業が商品の価格を相談して決めること( カルテル )は、禁止されている。 2)に関して、『 財産権は、これを侵してはならない 』と規定し、私有財産制を保障している。 その一方で、財 産権の内容については、公共の福祉に適合するように法律で定めるとされ、 『 私有財産は、正当な補償の下 に、公共のために用ひることができる 』 第29条 とある。 したがって、道路を拡張するとか、空港を作るといった公共事業を行う場合に、正当な補償を条件に立ち退か なければならないこともある。 経済活動の自由に関する最高裁の判決には次のものがある。 し かし、薬事距離制限と不良薬品供給防止には因果関係がなく、憲法第22条1項( 職業選択の自由 )に も違反するとして、 違憲判決を下した。 この法律を設けた目的は、 共有林の分割に伴う森林伐採を防ぎ、森林を保護することにあった。 しかし、共有持分権者は、分割請 求ができないと自分の所有地を確定できず、結局、第三者に持分権を売却することが困難になってしま う。 よって、憲法第29条の財産権を不当に制限し、違憲・無効であるとする判決を出した。 この違憲判決後、国会は森林法を改正して同条項を削除した。 日本国憲法が保障する基本的人権は、誰かから与えられたものではなく、すべての人間に認められる 自然権 て、明治憲法のような法律の留保は、認められない。 日本国憲法 第11条 … 基本的人権は、 侵すことのできない永久の権利 として、現在、及び将来の 国民に与へられる。 日本国憲法 第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の 不断の努力によって、 これを保持しなければならない。 <例> ゴミ屋敷 … 自分の土地だからゴミを捨てようが自由だでいいのか?悪臭や美観など、周囲の人の 生活も考えないといけない。 基本的人権は万能ではない。 また、「不断の努力」とは、普段から努力していればいいというのではなく、「不断=絶えることのない努力」、つ まり、努力を怠ってはならないということである。 公共の福祉とは? 社会全体の利益。 多くの人が受ける幸福や生活の安定。 明治憲法下での 「 法律の留保 」 とはちがうので注意! 「 法律の留保 」 は、政府の都合 で個人の権利を縮小(極限0%まで)するための原理である。 人権を制限するのに法を使うと、権力者のやりたい放題になるので、「公共の福祉」の出番となる。 「ある人に とってどんなに大切な権利だろうと、大勢の人の幸せを妨害するような人権は認めない」というわけだ。 日本国憲法 第13条 すべて国民は、個人として尊重される。 生命、自由及び 幸福追求に対する国民 の権利については、 公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大 の尊重を必要とする。 この 個人の尊重と 幸福追求権は 新しい人権の根拠となるもので、憲法の条文に明記されていないものであって も、人間としての生存に不可欠な権利は幸福追求権に含まれるとする考え方の根拠になっている。 ( 正当な補償のもとに、立ち退きをしなければならない場合もある ) これらは、経済を調和的に発展させることや、経済的弱者の保護をめざすもので、福祉国家を実現するため の政策的な制約 政策的制約 であるといえる。 民主主義に直結する権利だから、必要最小限の制約にとどめ、安易な規制は認めない。 弱者保護の観点から、規制( 土地の強制買収・カルテル禁止、など )は幅広い制約を許し、合憲と判 定する。

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基本的人権とは

基本 的 人権

人が生れながらにして,単に人間であるということに基づいてする普遍的をいう。 思想は自然法思想に発し,まず, 1 権的基本権 ,良心,学問,など を確立し, 2 政治的基本権 選挙権,請願権など をし,拡充し,次いで 3 社会経済的基本権 的勤労権,団結権など という考え方が生じた。 今日この3種の基本権は各国の基本法 にほとんど取入れられるにいたっている。 しかし 20世紀後半に入って戦争,公害,無知などの脅威に対応して平和権,環境権,情報権 知る権利 など「新しい人権」が主張されている。 成文化されたのはイギリスの 1215年のにまでさかのぼるといわれるが,生れながらにして当然に人間としての権利を有するという天賦人権思想に立って国法上初めて確認章典したのは,1776年6月 12日のである。 この宣言や 89年のフランス人権宣言に代表される近代的人権概念は,思想的にはいわゆるを基盤とするもので,が「個人の尊重」を力説する 13条 のは,苦い全体主義の反省の意味もこめて人権概念の原点を確認するものである。 人権は,永久不可侵性をその本質とするが,共同の社会生活を前提に成立するものであるところからくる制約,すなわち人権相互の調整という観点からする制約を免れない。 日本国憲法が「」に言及する 12,13条 のも,このようなのものと解される。 人権は本来対との関係で成立したものであるが,各種大規模組織,結社の存在する現代社会にあってはそれだけでは十分ではないとして,なんらかの形で人権保障の趣旨を私人相互間にも及ぼそうとする考え方が顕著になってきている アメリカの「私的統治の理論」やドイツの「第三者効力論」は,この点にかかわり,日本の学説,判例にも影響を及ぼしている。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 人間が人間らしく生きていくために必要な、基本的な自由と権利の総称。 人間が生まれつき天賦 てんぷ 不可譲の基本的人権を持つということは、18世紀末の米国諸州憲法やフランス人権宣言 1789年 以来、各国の人権宣言や憲法に明記されてきた。 もっとも、プロイセン憲法 1850年 やそれを手本としたといわれる大日本帝国憲法 1889年 では、国家主義的考え方から、の権利は法律の下で認められる制限的なもの、とされていた。 基本的人権の内容は、当初は国家権力の干渉を排除することにより達成される自由権的人権が中心だった。 人間の尊厳、法の下の平等、生命身体の安全、自由の保障、思想・信仰・言論・集会・、移動の自由、私生活の保護、財産権の保障、公平な公開裁判の保障、罪刑法定主義、などに、参政権を加えたものである。 第1次大戦後、社会国家的な考え方から、などにより、国家の積極的関与によって保障される社会保障、教育権、労働権などの社会権的人権が基本的人権に加えられた。 第2次大戦中のに対する反省から戦後、基本的人権に対する認識がいっそう高まり、日本国憲法も基本的人権の尊重をその柱の1つとした。 さらに人権尊重は国際関心事項となり、やにより、人権の尊重順守の促進は各国の義務とされ、国際人権規約や地域的・個別的人権条約によって具体化された。 特に、人権確保のため、国際的人権委員会や人権裁判所も、設置されるようになった。 また開発途上国からは、人民の自決権に始まり、発展の権利、平和的権など、第三世代の人権、新国際人権秩序の主張がなされるようになってきている。 宮崎繁樹 明治大学名誉教授 / 2007年 出典 株 朝日新聞出版発行「知恵蔵」 知恵蔵について の解説 人が生まれながらにしてもち,国家権力によっても侵されることのない基本的な諸権利。 基本権または単に人権とも。 ブルジョア革命の過程で近代自然法思想に基づくが,国家制度として確立されたもので,近代憲法の不可欠の原理である。 英国の(1689年),(1776年),フランス革命の(1789年)などはその古典的表現で,宗教・良心・思想・学問・言論・出版・身体・集会・結社・居住・移転・職業選択の自由,財産・,や,さらに法定手続の保障や不法な逮捕・抑留・拘禁からの自由など,国家権力からの自由()を内容とするものであった。 民主主義の発展に伴いが加えられ,また資本主義の発展により社会的・経済的不平等が拡大するにつれ,特に第1次大戦以後は,人間たるに値する生活を国家に要求する権利や労働者の団結権・団体行動権,さらに教育権などの生存権的基本権または社会的基本権が加えられた()。 日本の旧憲法はの権利・自由しか認めず,しかもそれは法律によるを伴った。 現行憲法は生存権的基本権の思想も取り入れて,基本的人権の確保を基本原理とし,さらに包括的基本権としてを設け,その保障についても法律による留保を認めない建前をとるが,他方でその保障は〈〉に反しない限り認められるとしている。 単に人権あるいは基本権ともよばれる。 個人はすべて生まれながらにして固有の、他人に譲り渡すことのできない権利をもっている。 これが人権または自然権とよばれるものである。 近代に入ってアメリカ合衆国の独立やフランス革命によって、個人の自由を守ることが国家の任務であるという思想(自由主義)が強まり、国家はそういう人権を守るために設けられるものであるから、国家はそれらの人権を侵すことはできない、だから人権は国家以前のものであると考えられた。 アメリカやフランスの人権宣言はいずれもこのような人権を宣言し、保障した。 [池田政章] 基本的人権の意義人権は初めもっぱら自由権を意味していた。 自由権は、国家権力の介入や干渉を排除して個人の自由を確保する権利で、自由権的基本権ともよばれる。 人間の自由に対する欲求は生まれながらの人間性に内在するものであって、人間が個人の価値を確立するため獲得した最初の権利がこの自由権であった。 思想の自由、宗教の自由、言論の自由、集会・結社の自由、居住・移転の自由、信書の秘密、住居の不可侵、財産権の不可侵などがこれに属すると考えられた。 これに反して参政権は、人間として有する権利ではなくて、国家の市民(または国民)として有する権利として、初めは人権からは区別された。 20世紀になり、第一次、第二次世界大戦を経て、国民主権が確立され、国家の任務はすべての国民の生活を保障するにあるという思想(社会国家思想)が一般に浸透するにつれて、国民が政治に参加する権利、すなわち参政権や、国民がその生活を保障される権利(社会権もしくは生存権的基本権)もすべて人権のうちに含まれることになった。 社会権や参政権は、自由権を前提にして確立されたものであり、その意味では自由権は人権のなかでも、もっとも基本的なものである。 1948年12月10日国際連合総会で議決された世界人権宣言は、自由権のほかに参政権や社会権を人権のうちに含ませている。 [池田政章] 人権宣言18世紀の終わりにアメリカ合衆国の諸州が世界で初めて成文憲法をつくったとき、同時に人権宣言を制定し、各種の人権を宣言し、保障した。 これが例となって、その後各国の成文憲法には、つねに人権宣言に相当する規定の一群が置かれるようになった。 このようにして世界各国は人権宣言をつくって人権を守ろうとしたが、交通が発達し、各国間の交渉が多くなるにつれ、人権を各国の憲法で守るだけでは不十分であり、国際法的にこれを守らなくては十分な効果が期待できないという考えが広まった。 その結果、第二次世界大戦終結とともにできた国際連合は、人権の保障を非常に重くみて、その憲章にもその趣旨の規定が多い。 さらに、先にあげた世界人権宣言は、それまで各国で定められた人権宣言の総まとめとも考えられて、全国家が「達成すべき共通の基準」であると述べている。 ただ、これは単なる宣言にすぎず、法的な効力をもっていない。 それを解決するためにつくられたのが、いわゆる国際人権規約(1976年発効)、つまり「経済的、社会的及び文化的諸権利に関する国際規約」(A規約)、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(B規約)、「市民的及び政治的権利に関する国際規約についての選択議定書」である。 日本は1979年(昭和54)にA規約とB規約について批准したが、選択議定書などの一部については留保している。 [池田政章] 明治憲法における人権西欧諸国の人権宣言は、明治憲法にも大きな影響を与え、その憲法起草者である伊藤博文 いとうひろぶみ 自身も、権利の保障を伴わないならば憲法を制定する意味が失われるといったほどである。 しかし、明治憲法は、天皇主権の原理に立脚し、天皇が神の権威に基づいて日本を統治するというたてまえをとったので、国民も天皇の統治に服する「臣民」と考えられ、固有の意味の人権は認められなかった。 また、外国の人権宣言の影響を受けて、信教の自由、言論の自由、集会・結社の自由、居住・移転の自由、人身の自由、住居の不可侵、財産権の不可侵などを保障する規定が明治憲法にもあったが、法律でそれらを制限することが許され、実際に法律によって制限された。 たとえば、人身の自由の場合、憲法の精神に沿って法律もできていたのにもかかわらず、実際にはそうした精神を無視した人権蹂躙 じんけんじゅうりん が行われた。 [池田政章] 基本的人権と日本国憲法以上述べたような状態は、第二次世界大戦後に制定された日本国憲法のもとですっかり変わった。 すなわち、天皇主権にかわって国民主権が根本原理となるとともに、固有の意味の基本的人権がここで初めて認められた。 日本国憲法は、基本的人権の尊重をその根本原理とし、その第3章「国民の権利及び義務」で、基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」(憲法11条・97条)としてこれを保障している。 そこで規定されている基本的人権には、次のようなものがある。 [池田政章] 自由権保障する対象によって、精神的自由権、人身の自由、経済的自由権に分けることができる。 精神的自由権とは、国家権力から個人の精神の解放を保障する権利で、具体的には、思想および良心の自由(憲法19条)、信教の自由(憲法20条)、集会・結社および表現の自由(憲法21条1項)、学問の自由(憲法23条)、検閲の禁止・通信の秘密(憲法21条2項)が規定されており、明治憲法下におけるような思想のために罰せられるということはなくなった。 さらに、個人の身体がなにものからも、とくに国家権力から自由であることは、人間の最小限度の要求であって、憲法はこの人身の自由を保障するため多くの保障を設けた。 そこには、奴隷的拘束および苦役からの自由(憲法18条)と法定手続の保障(憲法31条)、および被疑者・刑事被告人の権利(憲法37条)が保障され、厳しい要件を定めて国家権力の濫用を制限している(憲法32条~39条)。 また、近代市民社会の確立のためには、経済の自由が確立されなければならない。 日本国憲法も経済的自由権を保障したが、同時に自由主義経済の無制限な放任は社会の腐敗を招くので、この見地から公共の福祉による制限も認められている。 職業選択の自由(憲法22条1項)、財産権(私有財産制)の不可侵(憲法29条)のほか、居住・移転の自由、外国移住の自由、国籍離脱の自由(ともに憲法22条)が、沿革的に経済的自由権に属するとされる。 [池田政章] 参政権国民が政治に参加する権利をいい、具体的には議会議員の選挙権・被選挙権のほか、直接民主制的諸権利や請願権がこれに属する。 日本国憲法は、国民主権を原理とし、政治のあり方を終極的に決めるものは国民であるとする。 そこで、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」(憲法15条1項)と規定しているが、すべての公務員を選定・罷免することは実際には不可能なので、国会議員および地方公共団体の長と議員の選定権、最高裁判所裁判官の国民審査、地方公共団体の長と議員などの解職請求を認め、他の公務員は議会もしくは行政部によって選ばれることにしている。 このことは代表民主制のたてまえから正当化されるが、代表民主制はともするとその機能が鈍化し、国民各層の要求や希望が伝達されにくいという弊害を生じやすいので、その通路を開く意味で、請願権(憲法16条)が規定されている。 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障し、かつ、選挙における投票の秘密を保障している(憲法15条3項・4項)。 [池田政章] 社会権日本国憲法は新しく社会権を規定している。 生存権、教育を受ける権利、勤労の権利などがこれである。 まず、生存権の保障のため、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を規定(憲法25条1項)、その具体化として、生活保護法、国民健康保険法をはじめとする社会諸立法によって生活の福祉の増進が図られている。 次に機会均等な教育を受ける権利と義務教育の保障が規定され、小・中学校の9か年の義務教育についてこれを無償としている(憲法26条)。 また、生存権の実質的な保障のためには勤労の権利の確保が必要であり、憲法で規定(憲法27条)するとともに、国家は労働の機会提供について、職業安定法、雇用保険法などを制定し、労働基準法を設けて勤労条件に関する基準を定め、児童の酷使などを禁止している。 なお、権利と同時に義務を負うことをも規定している。 さらに、使用者の経済的優位に対抗して契約の実質的平等を確保するために、「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利」(憲法28条)を保障している。 勤労者の団結権、団体交渉権、団体行動権(争議権など)を労働三権という。 [池田政章] 基本的人権と法令審査権明治憲法のもとでは、裁判所は法令審査権(違憲立法審査権)をもっていなかったから、憲法の保障する自由権を侵害する法律ができたとしても、裁判所はそれをそのまま適用するほかはなかった。 これに対して、日本国憲法ははっきり裁判所の法令審査権を認めている(憲法81条)から、かりに国会の多数で基本的人権を侵害する法律をつくったとしても、それに関連した裁判において、裁判所はそれを違憲としてその適用を拒否することができる。 ただし、人権の種類によって違憲審査の基準は異なり、精神的自由は経済的自由より厳しく審査されるし(二重の基準の理論)、社会権の審査については国会の意思が尊重されることが多い(立法裁量)という違いがある。 それでもこれによって基本的人権の保障は確実なものとなったといわれる。 最高裁判所が「憲法の番人」であるといわれるのは、裁判所がこういう審査権によって、憲法の規定が国会によって破られるのを防ぐ役割を担っているからである。 【今井 宏】 [アメリカの権利章典] アメリカの憲法典には,基本的人権を保障する規定が必ず置かれている。 州によっては,憲法典を,統治機構に関するFrame of GovernmentまたはForm of Governmentと,人権に関するBill of RightsまたはDeclaration of Rightsの,二つのそれぞれ独立の文書とし,条文番号もそれぞれ別に付している例もある。 出典| 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について.

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